| 天正7年(1579年) |
| ★が更新箇所です。 |
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2月28日 |
明智光秀、八上城攻めのため、丹波亀山城に入る。 |
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3月17日 |
上杉謙信没後の家督をめぐり、上杉景勝が上杉景虎の拠点御館(おたて)を攻め、景虎を敗走させる(御館の乱)景虎を支持した前関東管領:上杉憲政敗死。 |
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3月24日 |
御館の乱(おたてのらん)で敗れた上杉景虎が、逃亡先の鮫ヶ尾(さめがお)城で自刃。 |
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5月11日 |
安土城の天主閣が完成 |
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5月27日 |
浄土宗の僧貞安らが、日蓮宗の僧日bらと、安土城下の浄厳院(じょうごんいん)で宗論を行う。この宗論で日蓮宗側が敗れ、織田信長に今後他宗を誹謗しないという誓詞を提出する。(安土宗論) |
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6月2日 |
明智光秀、八上城に波多野秀治、秀尚兄弟の命を助けることと、光秀の伯母を人質として出すことを条件として、降伏するように勧告し、波多野兄弟はこれを受入れる。 |
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6月4日 |
織田信長、降伏した波多野秀治、秀尚兄弟を明智光秀に一言の断りもなく、磔の刑に処す。 |
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6月13日 |
平井山の陣中で羽柴秀吉の軍師、竹中半兵衛病死。享年36歳 |
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8月9日 |
明智光秀、丹波国黒井城を落とす。 |
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8月29日 |
織田信長、徳川家康の正室、築山殿、嫡子信康に武田家への内通の疑惑があるとして、殺害を命じる。家康はこれに従い、正室築山殿を殺害。 |
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9月2日 |
籠城中の荒木村重、突如数騎の供を連れたのみで有岡城を脱出して尼ケ崎城へ逃れる。そのため、有岡城は落城する。 |
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9月15日 |
徳川家康の嫡子松平信康、織田信長に武田家への内通を疑われ、幽閉先の二股城(にのまた)において自刃。享年21歳 |
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9月の
出来事 |
織田信長によって攻め落とされた摂津国有岡城から、黒田官兵衛が救出された。実に1年間幽閉生活を余儀なくされた。このときの幽閉生活で官兵衛は身体が不自由になってしまった。 |
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10月20日 |
武田勝頼の妹の菊姫が上杉景勝の元に嫁ぐ。景勝25歳のこと。 |
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12月13日 |
織田信長、有岡城に籠城していた村重の家臣とその妻子を処刑。 |
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12月16日 |
織田信長、有岡城に籠城していた村重の妻、一族の者などを京市中引き回しの上、六条河原で斬首する。 |
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この年の
出来事 |
徳川家康に3男、長丸(後の秀忠)が浜松城下で生まれる。 |
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