富士見櫓
    
1.別名 千代田城
2.所在地 東京都千代田区千代田1-1
3.城の種別 平山城
4.築城者 太田道灌
5.築城年 1457年(長禄元年)
6.遺構 櫓・堀・石垣・城郭・門
7.簡単な沿革    
   12世紀はじめ、草深い武蔵国江戸郷の丘陵に、関東武士江戸重継が館を構えた。1457年(長禄元年)、その跡に扇谷上杉氏の家宰・太田道灌が江戸城を築城する。
 のちに扇谷上杉氏が城主となるが、小田原を掌握した北条早雲の子氏綱に攻められ、1524年(大永4年)、武蔵高輪原(たかなわはら)の戦いで敗走。以後、江戸城は北条氏による武蔵国・上野国の攻略の拠点として重きをなした。
 1590年(天正18年)、豊臣秀吉が北条氏を滅ぼし、その旧領関八州を徳川家康に与えると、家康は江戸城を本拠と定める。
 1603年(慶長8年)、家康は征夷大将軍となり、以後、江戸城は将軍の居城、また中央政庁としての威容と規模を整えていく。「天下普請」として諸大名に工事を分担させ、神田山の切り崩し、海岸の埋め立て、堀割の開削により城下を整備。江戸城を大拡張し、本丸・二の丸・三の丸・西の丸を設けた。
 普請は2代将軍秀忠、3代将軍家光に引き継がれ、1636年(寛永13年)に内郭・外郭が完成。堅牢な堀と石垣を備えた日本一の巨城となった。1657年(明暦3年)、江戸の大火で5層6階の天守をはじめ、本丸・二の丸・三の丸を焼失。以後天守は再建されなかった
 1867年(慶応3年)、15代将軍慶善は大政を奉還。翌1868年(明治元年)江戸城は朝廷に明渡され、東京(とうけい)城と改称明治天皇の行幸(ぎょこう)により皇居となる
 現在、富士見櫓など櫓3基と多聞櫓3基、大手門・平川門など多数の城門が残り、石垣と内堀がよく保存されている。1960年(昭和35年)江戸城跡は国の特別史跡となり、1968年(昭和43年)から旧本丸・二の丸と三の丸の一部が東御苑として公開されている
8.歴代城主    
      年代 歴代城主  
1457年(長禄元年)
〜1486年(文明18年)
太田道灌  1456年に築城工事着手。翌年に完成。
 1486年(文明18年)道灌、上杉定正に暗殺される。扇谷上杉氏が江戸城に城代を置く。
1505年(永正2年)
〜1524年(大永4年)
上杉朝良
上杉朝興
 1505年(永正2年)朝良、江戸城に入り、扇谷上杉氏の巨城となる。
1524年(大永4年)
〜1590年(天正18年)
北条氏  武蔵高輪原(たかなわはら)の戦いにより落城。これより66年間、北条氏が城代を置く。
1590年(天正18年)
〜1605年(慶長10年)
徳川家康  1603年(慶長8年)、家康、征夷大将軍となり、幕府を開く。翌年より埋め立てによる城下の拡張工事を開始。
1605年(慶長10年)
〜1623年(元和9年)
徳川秀忠  1606年(慶長11年)、江戸城の大増築工事を開始。
 1607年(慶長12年)、慶長天守完成。
 以後、明治維新を迎えるまで、江戸幕府の将軍の居城として存在した。その間、度重なる火事で天守、本丸、二の丸、三の丸、西の丸が焼失する。明治維新後は天皇を迎え、皇居として現在に至る。
9.ご案内    
       見所  現・皇居東御苑、北の丸公園をはじめとする各曲輪や各堀、大手門や田安門ほかの門など、外周を見回るだけでも興味深い。また、北の丸西の千鳥ヶ淵は桜の名所として名高い。国指定特別史跡とされている。
入城料  北の丸公園:無料
 皇居東御苑:無料
 皇居     :無料
開城時間及び休城日  北の丸公園:公開日時の制限はないが、日没後の入園は避けた方がよい。

 皇居東御苑:月曜日と金曜日以外は毎日公開されている。(3〜10月は9時〜16時,
         11月〜 2月は9時〜15時30分)

 皇居     :皇居東御苑以外の地区については事前の申し込み及び手続きにより一般参加できる。
         一般参観希望の方は、宮内庁管理課参観係<03-3213-1111(代)>にあらかじめ電話で
         お問い合わせを。
         参観の手続きは希望日の10日前までに済ませること。
         参観所要時間は約90分ほどで歩行距離は約3キロ。
         (参観日時:祝祭日を除く月曜日〜金曜日/10時と13時30分の1日2回)
アクセス  鉄道  JR東京駅丸の内口下車、徒歩15分
 営団地下鉄大手町駅D2出口より徒歩10分
地図    
10.感想    
  平成15年2月15日(土)   晴れ
 江戸城は前々から広いと聞いていたが、実際に行ってみると本当に広い。城郭の規模でいったら、姫路城のはるか上をいっていると思った。かつて天下の中枢機関として将軍がおり、日本が動いていたのだから、それも当たり前のことなんだが・・・。しかし、これだけの遺構の数々、石垣、堀、櫓、櫓の跡、城門は素晴らしい。歩いていて思ったのが、櫓の跡等はここに櫓があったのだと十分に感じさせてくれるし、角を曲がると石垣の反り具合が綺麗に見え、常に期待を持たせてくれるところということが実感できる。今は皇居となっているので、立入ることができない場所が多いが一般公開している場所を見て周るだけでも十分満足できると思う。
 皇居の周りにある堀の大きさを見るだけでも、十分満足できると思うが、半蔵門、乾門を見て回るのもいい。しかし、半蔵門、乾門を見て回ろうと思うと、江戸城の周囲をグルッと見てまわることになるので、それなりの服装で行ったほうがよい。なぜなら、周囲を歩くだけでも、かなり広く時間を要するからだ。本丸跡にある天守台は写真では見たことがあったが、実際に見てみると、かなりの大きさに驚く。北桔橋門から入ってみた時、門の向こうに見えた石垣を壁だと思っていると、実は天守台の後ろ側だったという見間違えをするほどの大きさである。櫓は富士見櫓、巽櫓、伏見櫓の3つしか現存していないが、江戸城の良さは至るところに残る城門であると思う。ほとんどが桝型で渡櫓になっている。それを近くで見ると、その迫力に圧倒されるし、遠くから見ると、その存在感はかつてここに世界最大級の城郭があったということを感じさせてくれる。
 私は見て周るのに4時間程度かかったが、その間昔の姿が目に浮かぶような思いであった。天守台を見たとき、自分なりに思い描いた城を頭の中で描き、天守台の上を見上げた程だ。また、ここは他の城とは違い、外国人と城門を警備する警備員の多さも印象に残った。江戸城にきて本当に良かったと思ったと同時に、皆さんに日本人として是非一度は立ち寄って欲しいと思った。
   
  2024年(令和6年)6月8日(土) 晴れ
   100名城のスタンプ、御城印をゲットすべく訪問をしたが、御城印は公式のものはなく、外部団体から勝手に発行されているということであり、ここでゲットすることができなかった。100名城のスタンプは外苑に休憩所/売店がありそこで押すことできる。以前、訪問した際には気づかなかったところであったので、今回、新しく発見することができた。今回は桜田門を内側、外側両方から見て念入りに確認をした。何度見ても重厚な門で桝形で囲まれていることから堅牢な造りになっていることが判る。天守台を始め、門跡の両側にある石はどれも大きく、圧倒される。これを見た外様大名は幕府に対して歯向かおうとする気もそぐ効果があるとあるのではないかと思う。それほど立派で威厳のあるお城である。
 今回も警備員が至る所に配備され、中に入るにも手荷物検査を行なうなど厳重な警備体制がひかれていた。
     
     
将軍の居城
江戸城