光秀の理想郷
福知山城
    
遠くから見た福知山城天守
    
1.別名 横山城、臥竜城、八幡城
2.所在地 京都府福知山市字内記5番地
3.城の種別 平山城
4.築城者 明智光秀
5.築城年 1579年(天正7年)
6.遺構 豊磐の井、石垣、銅門番所
7.天守閣の構造 鉄筋コンクリート造 3層4階 本瓦葺 (昭和61年再建)
8.簡単な沿革    
   1579年(天正7年)に丹波を平定した明智光秀が土塁を盛っただけのような城を近世的城郭に築いたのが始まりとされている。その後、1600年(慶長5年)に入部した有馬豊氏が城下町を含め整備した。城郭は突出した丘陵を利用し、順次、本丸、二の丸、伯耆丸を設け、川と堀・土塁を廻らして備えた。
9.歴代城主    
      年代 歴代城主  
1579年(天正7年)
〜1581年(天正9年)
明智光秀  丹波国を平定した明智光秀が、福知山城を築き、名も横山城から福智山城に改めた(智が知になるのは江戸時代に入ってから)。
1581年(天正9年)
〜1582年(天正10年)
明智秀満  光秀は丹波国亀山城を本拠とし、女婿秀満が城代として入城。
1582年(天正10年)
〜1583年(天正11年)
羽柴秀勝  光秀が山崎の戦いで敗死。織田信長の4男で秀吉の養子秀勝が亀山城主となり、福知山城を預かる。
1583年(天正11年)
〜1585年(天正13年)
杉原家次  羽柴秀勝の城代として入城。
1585年(天正13年)
〜1600年(慶長5年)
小野木重勝  秀吉の家人小野木重勝が入封。
1600年(慶長5年)
〜1620年(元和6年)
有馬豊氏  関ヶ原の戦いで西軍の小野木重勝が自刃したあと、有馬氏が遠江国横須賀から入封。
 有馬氏移封の後、岡部氏、稲葉氏、松平氏と城主を替え、朽木氏が13代続き明治時代を迎えた。
10.ご案内    
       見所  本丸、天守の東側にある豊磐の井は深さ50mあり、日本一の深さを誇る、今現在も清らかな水をたたえている。天守台から本丸にかけての野面積の石垣は、たくさんの五輪塔等が使われており、当時の時代背景を今現在に伝えている。現在、本丸にある銅門番所は元々二の丸登城路にあったが、大正時代に天守台に移され、天守の再建に伴い、現在の位置に移された、福知山城の歴史を物語る建造物である。
入城料 大人 310円
こども(小・中学生) 100円
開城時間 午前9:00〜午後5:00
休城日 毎週火曜日(但し祝日と重なる場合は、開城して水曜日が休城日)
12月28日〜12月31日、1月4日〜1月6日
アクセス  鉄道 JR山陰本線福知山駅から徒歩15分
国道9号線沿い
地図  
   
11.城に関する逸話・伝説   
       
12.感想    
          平成17年8月15日 月曜日 晴れ
 明智光秀の小説を読んで光秀が町造りに心血注いだとあったため、どのような町=城なのかと興味を持ち、この城に行くことにした。
 事前情報として、外観は資料に基づく完全復元とあったが、そのように宣伝するだけのことはあると思われる復元天守であった。内部は小奇麗な博物館になっていた。しかし、福知山城で一番驚いたのは、石垣に石仏が実際に使われていることである。石垣の中に石仏が使われているのを生で初めて見た私にとって衝撃的であった。当時としてはこのような事は、日常的に行なわれていたのだろうが、実際に見るとかなり違和感を感じると共に戦国時代という時代を垣間見た感じがした。
   
     
11.感想