櫓を両脇に構えた今治城天守
    
1.別名 吹揚城、美須賀城
2.所在地 愛媛県今治市通町3−1−3
3.城の種別 平城
4.築城者 藤堂高虎
5.築城年 1604年(慶長9年)
6.遺構 本丸跡、二の丸跡、内堀
7.天守閣の構造 鉄筋コンクリート造瓦葺5層6階(梯郭式塔造、昭和55年10月再建)
8.簡単な沿革    
   関ヶ原の戦功で藤堂高虎は伊予半国を領し、軍事交通の要地であるこの今治に1602年(慶長7年)から1604年(慶長9年)にかけて今治城を普請し、同時に城下町を形成し、現在の今治の原型を作った。
 1608年(慶長13年)高虎が伊勢国津城へ移封されると、今治城へは養子高吉が残った。
 1635年(寛永12年)松山城主松平定行の弟定房が入ると、今治は松山藩の支藩となった。その後松平氏が城主を世襲し、明治維新を迎える。
 1872年(明治5年)に城跡に吹揚神社が造営され、1980年(昭和55年)に天守、多聞櫓、武具櫓の復興工事が完成。1985年(昭和60年)御金櫓が復興される。1990年(平成2年)山里櫓が復興される。
9.歴代城主    
      年代 歴代城主  
1602年(慶長7年)
〜1608年(慶長13年)
藤堂高虎  1602年(慶長7年)藤堂高虎、今治城の築城を開始する。
 1604年(慶長9年)今治城が完成する。
1608年(慶長13年)
〜1635年(寛永12年)
藤堂高吉  1608年(慶長13年)高虎が伊勢国津城へ移封。その後は養子高吉が今治城に残る。
 1610年(慶長15年)天守の用材を丹波亀山城の天守として移築。
 藤堂高吉が伊賀国名張へ転封となり、代って松平家が入国すると、今治は松山藩の支藩となった。その後松平氏が今治城主を世襲し、明治維新を迎える。
10.ご案内    
       見所 「堀の水が海水」という点で、このことは全国的にも大変珍しい。そのため、潮の干満で堀の水位も変わり、現在も鯛やヒラメなどの海水魚が泳いでいる。
入城料 大人
(16歳以上)
300円
小人
(4〜15歳)
100円
団体(30人以上) 2割引き
開城時間 午前9時〜午後5時(3月〜11月)
午前9時〜午後4時30分)(12月〜2月)
休城日 12月29日、30日、31日
アクセス  鉄道 JR予讃線今治駅からせとうちバス今治営業所行き7分
西瀬戸道今治ICから車で15分
今治港より徒歩で約10分
地図  
   
11.城に関する逸話・伝説   
       
12.感想    
          平成18年9月18日 月曜日 曇りのち晴れ
 今治城は城のガイドブックで築城家として名高い藤堂高虎が築いた城であり、堀には海水を引いた海城として珍しい城だと記載があり、写真を見ても美しい城だと思っていたので、一度は訪れたいと思っていた城である。車を有料駐車場に止めたとき、写真の風景の一部が目に飛び込んできたときは遂に念願かなったと思った。しかし、その感動も城内を見るにつれて薄れていった。なぜなら、内部は博物館そのものであり、城の歴史とは関係のない今治市の産業等もあり、まるで物置状態だった・・・。しかもそんな調子で6階まであるので、6階まで上ったときにはさすがにウンザリだった。しかし、6階からの展望は海岸沿いにある城だけあって、見応えはあった。他に櫓内を2つ見学できたが、櫓内部は今治城とは全く関係のない展示物があり、全く興味がわかなかった。むしろ、櫓付近から見る天守の方がきれいで、そちらに興味が注がれた。
 城を出て行くとき、櫓と塀を工事中だったので、完成が楽しみだ。最後に堀の周囲を車で走ってみてみると、今治城は外から眺めるに留めた方がいいなと改めて思った。
   
     
今治城
瀬戸内海に浮かぶ城