於大の方が育った城
刈谷城
城跡内に建つ本丸跡石碑
1.別名
亀城
2.所在地
愛知県刈谷市城町2丁目
3.城の種別
平山城
4.築城者
水野忠政
5.築城年
1533年(天文2年)
6.遺構
土塁・堀
7.簡単な遺構
 1533年(天文2年)、水野忠政の築城による。最初、水野氏の本拠は緒川城にあったが、忠政の築城と共に、本拠も刈谷城となった。1541年(天文10年)忠政は娘の於大を岡崎城主松平広忠に嫁がせた。1543年(天文12年)忠政が没すると、後を継いだ信元は織田氏と通じたため、広忠は於大を離別、以後、水野氏と松平家はたびたび戦うことになる。
 1560年(永禄3年)桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、元康は織田氏と通じたため、水野氏と松平氏は以後、戦うことはなかった。信元は信長に従い、各地に転戦し、軍功を表した。
 1575年(天正3年)佐久間信盛と不和となり、武田氏と通じていると讒言され、信長は家康に信元を処分するように命じた。同年12月27日、信元は自刃して刈谷城は没収された。
 後に刈谷城は佐久間信盛に与えられるが、1580年(天正8年)信長の怒りにふれて、信盛は追放され、信元の弟忠重に与えられた。信長没後、忠重は豊臣秀吉に仕え、1590年(天正18年)伊勢国神戸城4万石に移ったが、1594年(文禄3年)再び刈谷城に戻った。
 1600年(慶長5年)関ヶ原の合戦が始まる頃、忠重は家康に組した。しかし、越前府中に赴く堀尾吉晴を池鯉鮒(ちりふ)の蜂谷邸でもてなし中、石田方の刺客に殺された。忠重の後を継いだ勝成は1615年(元和元年)大和国郡山城に移り、1616年(元和2年)忠重の4男忠清が2万石で刈谷城に入った。その後、城主は目まぐるしく交替し、明治時代を迎える。
8.歴代城主
年代 歴代城主
1533年(天文2年)
〜1543年(天文12年)
水野忠政  1533年(天文2年)、忠政刈谷城を築城し、本拠地を緒川城より移す。
 1541年(天文10年)、忠政、娘於大を岡崎城主松平広忠に嫁がせる。
 1543年(天文12年)、忠政、死去。水野信元が後を継ぐ。
1543年(天文12年)
〜1575年(天正3年)
水野信元  1560年(永禄3年)、桶狭間の戦い後信元は織田信長に従い、各地を転戦する。
 1575年(天正3年)、織田家臣佐久間信盛と不和となり、武田氏に通じていると讒言され、自刃。後に佐久間信盛に刈谷城は与えられる。
1575年(天正3年)
〜1580年(天正8年)
佐久間信盛  1580年(天正8年)信長の怒りにふれて、信盛は追放され、信元の弟忠重に与えられた。 
1580年(天正8年)
〜1590年(天正18年)
1594年(文禄3年)
〜1600年(慶長5年)
水野忠重  1582年(天正10年)本能寺の変により信長横死後、忠重は豊臣秀吉に仕えた。
 1590年(天正18年)忠重は伊勢国神戸城4万石に移封となる。
 1594年(文禄3年)忠重、再び刈谷城主に返り咲く。
 1600年(慶長5年)越前府中に赴く堀尾吉晴をもてなし中に石田方の刺客に殺される。忠重の後を勝成が継ぐ。
1600年(慶長5年)
〜1615年(元和元年)
水野勝成  1615年(元和元年)勝成、大和国郡山城に移封となる。
 1616年(元和2年)忠重の4男忠清が刈谷城主となる。
 その後、城主は目まぐるしく交替し、明治時代を迎える。
9.ご案内
見所  現在、亀城公園として整備され、刈谷城の歴史を伝える建物はなく、本丸土塁の一部と公園の周囲に堀跡の一部が残っているだけである。
入城料 無料
開城時間
休城日 無休
アクセス 鉄道 名鉄三河線刈谷駅から徒歩20分
国道1号線→国道155号線→県道50号線(逢妻川沿い)
地図
10.感想
平成17年4月30日 土曜日 晴れ
 付近を通行中に近くに刈谷城跡があるという情報を入手して地図で調べてみたが、城跡の明記しておらず、亀城公園というのがなんとなく、怪しかったので、とりあえず、そこに向かうことにした。
 公園内に入ってみると、水堀みたいのが目に入ってきたので、直感的にここだ!!とわかった。さらに中に入っていくと、ボーイスカウト風な少年達がキャンプをしていた。テントがたくさん張ってあるのを横目に見て、丘の上に上がってみると、ツツジが咲いているのを発見し、他には何もなかった。下へ降りていき、右へ曲がると刈谷城本丸跡の石碑を発見することができた。本丸跡を中心に右手に回ると明治時代に建設されたと言われる建物があった。その建物の前にもきれいなツツジがあった。今度は本丸跡を中心にして左回りにして孔雀のツガイが入っている大きな鳥かごを発見することができた。その先には結構大きな藤棚も発見できた。
 刈谷城は家康の生母於大が育った城で、於大が松平広忠と離縁して戻ってきた哀愁漂う城であるが、現在はその面影は少しもなく、きれいな公園に整備されている。