
| 年代 | 歴代城主 | |
| 1510年(永正7年) 〜1528年(享禄12年) |
長尾為景 | 1510年(永正7年)上杉謙信の父長尾為景が春日山城をより堅固な城へ改修。このころ春日山城に根小屋を構えたという。 |
| 1528年(享禄12年) 〜1548年(天文17年) |
1528年(享禄12年)為景が死去すると、越後国は各地で反乱軍が蜂起。 | |
| 1548年(天文17年) 〜1578年(天正6年) |
上杉謙信 | 1548年(天文17年)長尾景虎は上杉定実の仲介によって、兄晴景と和平。 1560年(永禄3年)謙信が普請を命ずる。以後何度かの改築を繰り返す。 1573年(天正元年)実城(本丸)などに塀を築造。城がほぼ完成。 |
| 1578年(天正6年) 〜1598年(慶長3年) |
上杉景勝 | 1578年(天正6年)上杉謙信が急死し、景勝、景虎による跡目争いが勃発(御館の乱)。この戦いに勝利した景勝が謙信の後継者となる。 1584年(天正12年)大手口に砦を築く。 1597年(慶長2年)御門・橋など破損個所の修築を行う。 |
| 1598年(慶長3年) 〜1606年(慶長11年) |
堀秀治 | 1598年(慶長3年)豊臣秀吉の命で景勝が会津国に移封。替って堀秀治が入封。日本海に面する福島城の築城開始。 |
| 1606年(慶長11年) 〜1607年(慶長12年) |
堀忠俊 | 1606年(慶長11年)秀治が死去し、忠俊が跡を継ぐ。 1607年(慶長12年)築城していた福島城が完成したので、福島城へ移る。春日山城は廃城。 |
戦国期、上杉謙信が居城するまでは鉢ヶ峰城の名で呼ばれていた。その鉢ヶ峰城が歴史上に出てくるのは、応仁の乱の直前で、長尾の当主能景は府内の館より出て、鉢ヶ峰に本格的築城をなし、ここを本拠とし、国内統一をめざすも、1506年(永正3年)越中国へ出陣して討死を遂げる。その子為景は勢力を日に日に大きくして、主家上杉房能を滅ぼした。
1528年(享禄12年)、為景が死去すると、その跡目がないまま、景虎(後の上杉謙信)と反乱軍が各地で激突。1548年(天文17年)景虎は上杉定実の仲介によって兄晴景と和平し、以後、1578年(天正6年)に没するまで居城とした。 謙信の没後、春日山下の「御館」を巡って景勝、景虎(上杉謙信の養子)が争ったが、景勝が景虎を破り、春日山を本拠とした。景勝はその20年後1598年(慶長3年)に会津国へ移封し、替りに堀秀治が入城する。その子、堀忠俊は福島城を築き、そこに移ったため春日山城は廃城となった。

鉢ヶ峰城

新潟県と言えば、上杉謙信の居城として有名な春日山城である。新潟県に来たので必ず行きたいと思っていた城である。100名城のスタンプは春日山城の近くにある「ものがたり館」にあったので、そこへ立ち寄りスタンプをゲットして春日山へ向かった。大河ドラマの影響でだいぶ人がいた。帰りまでの時間があまりなかったので、急いで見ることにした。時間もなかったので、一気に中腹まで車で移動して、車を駐車場に止めて、車から降りると目の前にいきなり300段程ある階段がそびえていたが、モタモタしている訳もいかないので、一気に駆け上がった。頂上についたと思ったら、そこには春日山神社と売店があり、見上げると上杉謙信の銅像があった。本丸へはまだ先に行かなくてはいけなかったが、帰りの時間が遅くなるということで、今回は断念した。次回は必ず登城することを誓って今回の城巡りツアー(新潟編)は幕を下ろした。
土塁、空堀
南北朝時代
長尾氏
山城
新潟県上越市中屋敷
春日山神社