甲府城
武田氏滅亡後の甲斐の城
10.感想
平成19年9月1日 土曜日 晴れ

 大河ドラマで放送中の「風林火山」のイベントを山梨県で行っていることを知り、「風林火山博」なるものを見に出かけた。「風林火山博」は予想に反して、特設会場を設けているわけではなく、既設のデパートを改装しているというかんじで少々がっかりした。しかし、大河ドラマ館は馬の撮影がどのように行われているかなどあり、なかなかおもしろかった。さて、甲府城跡については今回は全く予定外だった。というのも武田信玄像を見に行くために甲府駅にいったときに駅周辺図でこの城跡を発見するまでは、全く知らなかったのである。聞いたこともない城跡だったので、どうせ大したことはないだろうと思い、行ってみると石垣が残る壮大な城跡だった。説明板を読むと、武田氏が滅んだ後に建てられた城ということを知った。今回の予定には特に入れていなかったので、一通り写真を撮って、ここでの探索は終了した。調査して興味が沸いたら、訪れようと思う。

9.ご案内
見所 豊臣系大名による築城のため、かなり立派な石垣がそびえている。現在は舞鶴城公園として整備されているが、城郭、堀の跡なども残っており城跡としては十分楽しめる。
入城料 無料
開城時間 公園は常時開放
※但し稲荷櫓は午前9時〜午後4時30分(入館は午後4時まで)
休城日 公園は常時開放
※但し稲荷櫓は月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、年末年始(12月29日〜1月3日)
アクセス 鉄道 JR中央本線甲府駅〜徒歩10分
中央道甲府昭和IC〜県道5号線〜国道52号線
地図
公式サイト
5.築城年
4.築城者
3.城の種別
2.所在地
1.別名
舞鶴城  一条小山城  赤甲城
7.簡単な沿革

天守台跡

6.遺構

山梨県甲府市丸の内1丁目

平山城

羽柴秀勝

1590年(天正18年)

年代 歴代城主
1590年(天正18年)
〜1591年(天正19年)
羽柴秀勝  1590年(天正18年)徳川家康の関東入封により、甲府城は豊臣方の城となり、城主として羽柴秀勝が入る。甲府城築城の着工。
1591年(天正19年)
〜1593年(文禄2年)
加藤光泰  1591年(天正19年)羽柴秀勝は美濃国岐阜へ転封した為、代わって加藤光泰が城主として入城。光泰は入城後、築城を再開する。
1593年(文禄2年)
〜1600年(慶長5年)
浅野長政
浅野幸長
 1593年(文禄2年)加藤光泰は文禄の役で朝鮮に渡り、帰国の途中で病死。代わって浅野長政・幸長父子が入城する。このときに近世城郭としてほぼ完成する。
1600年(慶長5年)
〜1603年(慶長8年)
平岩親吉  1600年(慶長5年)関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は浅野長政・幸長父子を紀伊国和歌山へ転封させ、城代に平岩親吉を入れる。
1603年(慶長8年)
〜1607年(慶長12年)
徳川義直  1603年(慶長8年)に徳川家康は9男徳川義直を封じる。
 1607年(慶長12年)に徳川義直は尾張国清州へ転封になる。その後も江戸城の西の要として徳川一門の支配下におかれ、明治維新後、1873年に甲府城は廃城となる。

石垣、堀、復元門、稲荷櫓、天守台、郭

8.歴代城主

 甲斐国は1582年(天正10年)武田家滅亡後は、織田信長、徳川家康(城代平岩親吉)の時代を経て、1590年(天正18年)豊臣秀吉の時代となり、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政、幸長父子により、治められた。甲府城は1600年(慶長5年)頃に浅野氏により近世城郭として誕生した。関ヶ原の戦い後、甲府城は江戸城の西を守備する要として、大々的な改修工事がなされ、1603年(慶長8年)に家康は9男の義直を封じた。義直が尾張国清州へ転封なったあとも、徳川一門の支配下におかれ、城番・城代制がしかれた。