南海随一の名城
高知城
天守と大手門
5.築城年
4.築城者
3.城の種別
2.所在地
1.別名
鷹城
7.天守閣の構造
高知県高知市丸の内1−2−1
平山城
山内一豊
8.簡単な沿革
9.歴代城主
1603年(慶長8年)
6.遺構
天守・黒鉄門・追手門・廊下門・本丸御殿(懐徳館)・納戸蔵・東多聞・西多聞など15棟
木造3層6階本瓦葺[1748年(寛延元年)竣工]
 南北朝期に南朝方の大高坂(おおだかさ)松王丸が居城したが、北朝方に攻められ落城。その後廃城となる。1588年(天正16年)豊臣秀吉に四国一国を安堵された長宗我部元親がこの地に城を再建しようと試みるが、鏡川と江の口川の治水がうまくいかず、1591年(天正19年)桂浜に浦戸城を築き本城とした。1601年(慶長6年)関ヶ原の合戦の功績が認められ、土佐24万石を封ぜられた山内一豊が浦戸城に入る。同年9月から大高坂山に築城を開始。1603年(慶長8年)8月本丸・二の丸が完成し、一豊が高知城に入城する。1611年(慶長16年)、三の丸が竣工。1727年(享保12年)の大火で追手門以外は殆ど焼失し、1729年(享保14年)に再建に着手し、1753(宝暦3年)までにすべてが再建された。
年代 歴代城主
1588年(天正16年) 長宗我部元親  大高坂山に築城するも、水害に悩まされ、未完成のまま浦戸城に移転
1601年(慶長6年)
〜1605年(慶長10年)
山内一豊  1601年(慶長6年)遠江国掛川城から土佐に入封。浦戸城へ入城する。大高坂山にに新城の築城工事を開始。
 1603年(慶長8年)本丸が完成し、一豊が入城。大高坂山の名を河中山(こうちやま)と改める。
1605年(慶長10年)
山内忠義  1605年(慶長10年)山内一豊が病没。家督を忠義が継ぐ。
 1610年(慶長15年)河中山を高智山(のちに高知山)と改める。
 1611年(慶長16年)三の丸が竣工し、全城郭完成。
 その後、山内氏が代々家督を務め、明治維新を迎える。
10.ご案内
見所 現存天守はもちろんだが、天守に付随する櫓及び本丸内の建物全てが残っているのは全国で高知城のみ。また、天守と追手門が残っているのは日本に3箇所しかないが、高知城はその一つ。尚、天守と追手門が一枚の写真に収まるのはこの高知城のみ
入城料 区分 個人 20人以上の団体
大人(18歳以上) 400円 320円
小人(18歳未満) 無料 無料
開城時間 午前9時〜午後5時00分(入城は4時30分まで)
休城日 12月26日〜31日  ※1月1日は無料開放
アクセス 鉄道 JR四国  高知駅からバス又は電車で10分、徒歩25分
高知ICから15分
地図
平成18年9月24日 日曜日 曇時々雨
11.感想
前日から2泊3日の四国周遊でようやく高知城についた。前日に38.7℃の高熱が出たが、それでも無理を押してきた甲斐があったと思う程の高知城の出来だった。まず、この城は天守と追手門が一つの写真で収まるという大変珍しい城でしかも、天守と本丸御殿が唯一現存している点でも貴重な城なのである。実際に城へ上がってみると、三の丸の石垣が改修中だったので残念だったが、本丸内に入ってみると小ぶりの天守に対して取り囲むように櫓がひしめきあっており、本丸内の建物も全て現存していた。姫路城のような大規模な城ではないが、歴史的価値は十分あると思えた。また、大河ドラマ館もあったが、こちらは掛川城のものと大差はなくイベント会場もあまりパッとせず、残念だった。しかし、アンパンマンの原作者であるやなせたかし氏がデザインした千代と名馬”太田黒”のマグネットをとりあえず購入しておいた。実はこの高知県このやなせたかし氏の出身地でもあり、アンパンマンミュージアムがある程、知る人ぞ知る県でもある。城の外へ出ると五藤吉兵衛の子孫が経営している本屋があり、これには大変驚いた。