4.築城者

柴田勝豊

年代 歴代城主
1576年(天正4年)
〜1582年(天正10年)
柴田勝豊  1576年(天正4年)北庄城の支城として築城。
1582年(天正10年)
〜1583年(天正11年)
安井家清  1582年(天正10年)勝豊が長浜城主となり、城代として入城。
1583年(天正11年)
〜1601年(慶長6年)
青山宗勝  1583年(天正11年)柴田氏滅亡後、越前国守となった丹羽長秀の城代として入城。
1601年(慶長6年)
〜1613年(慶長18年)
今村盛次  1601年(慶長6年)越前を領した結城秀康の丸岡城城番として入城。
1613年(慶長18年)
〜1624年(寛永元年)
本多成重  1613年(慶長18年)北庄城主松平忠直を補佐するため、入城。
 1624年(寛永元年)忠直改易後に大名となる。
 本多氏がお家騒動で取りつぶされたあと、有馬氏が入封。そのまま明治維新を迎える。1948年(昭和23年)天守が福井大地震で倒壊する。昭和30年に復旧工事完成。

9.歴代城主

1576年(天正4年)に柴田勝家の甥柴田勝豊が築城した平山城。日本現存天守の中では最古とされている。勝豊が長浜城に移ったのち4代を経て、1613年(慶長18年)に本多成重が入城する。その後本多氏4代、有馬氏8代を経て明治維新を迎える。天守は1948年(昭和23年)の福井大地震で倒壊したが、重要文化財指定を受け、1955年(昭和30年)に古材を用いて再建された。

1576年(天正4年)

8.簡単な沿革
7.天守閣の構造
6.遺構
5.築城年

霞城

1.別名

本丸  天守  石垣

福井県坂井市丸岡町霞町1-59

2.所在地

平山城

丸岡城天守です。天守はこの角度が好きですね。
3.城の種別

木造石瓦葺き2層3階

見所  福井大地震で倒壊するも古材を用いて見事復旧している無骨な天守は戦国の激動の時代をくぐり抜けてきたきた無骨の感じがあり、一見の価値あり。徳川家康の家臣本多作左衛門が妻に宛てた最も短い手紙「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」の石碑が天守の傍らにある。
入城料 大人 300円
小人 150円
開城時間 午前8時30分〜午後5時00分(入館は午後4時45分まで)
休城日 年中無休
アクセス 鉄道 JR北陸本線福井駅から京福バス本丸岡行きで約35分の丸岡城下車、徒歩3分
北陸自動車道丸岡ICから5分
地図
公式サイト
10.ご案内
戦国の無骨さを漂わせる
丸岡城

 念願だった、中部地方の現存天守の一つ丸岡城を訪れることができた。いつも高速道路から眺めるだけでいつかは行きたいと思っていた城だ。遠くからみると高い山に建っているイメージがあったが、実際に行ってみると、小高い丘に建っている感じだ。頂上にはこじんまりした城が建っており、石垣、木の板の城壁がすごく素朴な感じがしたていて、名城と呼ばれる城とは違う良さがある。また、城壁も木の自然な色が田舎の家屋を大きくした感じで土地柄にあっており、まさにあるべくしてある城である。城内に入ると現存天守であるので、急な階段であり、転落防止にロープがあった。城内はこれといった仕掛けはなかった。しかし、地震で倒壊しかけたときの写真があり、歴史を感じることができる。今、こうして残っているのは地域の人たちの城を想う気持ちによって守られていたのだと思う。この城を見て、その土地柄、人柄が城に表われるのではないかと思う。最上階は風がよく通っており、とても涼しかった。風景ものどかで心が穏やかになる城である。

平成21年6月27日 土曜日 晴れ
11.感想