真夏ということもあって、避暑地に行こうということで長野県が選定されて、長野県の城といえば、国宝松本城だろうとということで、今回松本城に行くことになった。この城を訪れれば、国宝の城は全てまわったことになるので、出発の日は意気揚揚たるもので、なかなか眠れなかった。さて、そんな中で迎えた松本城だが、長野県に着いて、車を降りるとさすが、長野県涼しいと思ったのも束の間、長野県と言っても、松本はまだまだ暑かった・・・。
 松本城に着くと、ものすごいたくさんの人で驚きました。しかし、カメラのシャッターは切りぱなっしでした。
( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ
やはり、黒壁の城は重厚味がありますなぁ〜。近くから見ると威圧感が体全身に伝わってまいりました。しかも、国宝。この城を除けば、国宝の城は全て白壁だから、また違った趣がありました。
 さて、城の中と言えば、やはり城の中もたくさんの人でとても城を見物するような状態ではありませんでした。(v_v)
その中でも印象に残っているのをいくつかあげると、5階への階段でその階段は他の階段に比べると、極端に勾配が急で非常に登りにくい構造になっていたため、そこから、人が3階まで並んでいるという状態だった。これは説明文によると、戦闘を意識したためとあった。他には、4階の構造、ここは1階から3階までは柱がたくさんあってごちゃごちゃしている構造とはうってかわり、広々としていた。係員の曰く、「戦争が起こったとき、城主がここで指揮を取る目的で造られたため、戦況がわかりやすいように広々として外もよく見えるように造られています」ということだった。さらにもうひとつ、武者窓と呼ばれる窓枠に格子が通してあり、また引戸の方にも同じように格子が通してあるので、引戸を引くと、ちょうど窓枠の格子の間に引戸の格子がきて、完全に閉まるようになっていた。これは、私の考えでは、城方から素早く鉄砲を撃ちかけて、敵の反撃を防ぐために素早く完全に閉まるようにしたものではないかと思った。このように戦闘面がかなり重視された城だが、月見櫓は平和の時代に造られた部分ということもあって、4方に柱があるだけで、壁は全て引戸になっていて、かなり無防備に造られている。
太鼓門枡形が復元されていたので、訪れてみると、残念なことに太鼓門櫓からは、木が邪魔をして天守群が見えなかった。あの場所から天守群が見えたら、またよかったのだろうと思った。太鼓門枡形、櫓は最近復元されたようで、とてもきれいに整備されていた。
 総評として、松本城を訪れた時、国宝ということで期待が大きすぎたため、写真でみたことのある風景しかなくて、少し拍子抜けしたが、黒壁の威圧感、戦闘面を重視して造られた工夫が随所に見られるところ(対鉄砲の戦いを特に意識している)等を知るとやはり国宝に足る城だと改めて実感させられる城であった。今回は人多くてゆっくり見物できなかったので、また行ってみたい城である。
黒壁の国宝天守
平成19年1月16日(火曜日) 晴れ

 今回仕事の出張の関係で松本へ来ていたが、現場が思うように進んでいなかったので、私の仕事に空き時間ができた。その為仕事を休みにして、松本城へ行くこととした。松本城へは過去来たことがあったが、そのときは夏の松本城で雪化粧した松本城は今回が初めてだったので、私自身非常に楽しみだった。この日は平日の朝一番ということもあって、中はガラガラだった。城の内部は前回来たときと展示物を含めてほとんど変化がないように思えた。しかし、冬の朝一番ということもあって城内は新鮮な気が引き締まるような空気が漂っていて、とても得した気分になった。また、この季節柄特有のツララが瓦から垂れ下がっているのが確認できた。このツララもよく見ると結構な大きさであり、かなり鋭かったので、戦時には緊急の武器として使用していたのでは、とも思った。外から見る松本城は黒壁の城に白い雪がのっているコントラストが非常に美しかった。また埋橋から見ると、城の黒壁、雪の白さ、埋橋の赤色、太陽の光が後光のようになっており、質実さの中に神々しさを感じることができ、この姿を見ることができただけでも、今回松本城へ来た甲斐があったとしみじみ感じた。

松本城
平成19年10月7日(日曜日) 晴れ

国宝四城への旅のスタンプラリーで彦根城、姫路城を制覇したので、残る遠方にあるのは松本城だったので、是非行きたいと思って行く機会を伺っていた。松本城の年間行事予定表を見ていたら、この3連休でソバ祭りなるもののイベントが開催されていたので、早速行くことにした。到着予定時間はちょうど昼ごろだったので、いいかなと思っていたら、城周辺(駅周辺)から車の量が増えて駐車場まで行くと完全に満車の状態から出ていった分入る出待ちの状態だったので、車を止められたのは13時ごろだった。おなかもすいたので、早速ソバ祭りの会場でソバを食べようと思ったら、予想以上に混雑しており、ここでも並ばないいけないかと思い、仕方なく並ぶことにした。並ぶのに時間があったので、おやきを買った。そんなこんなをしていると、ソバの順番がきたので、テントの中で安曇野ソバを買って食べた。わさびが天然のものでとてもおいしかった。ソバを食べた後、おやきを食べて大手門から城内へ入城した。黒門にスタンプ台があったので、スタンプを押そうと思ったが、100名城のスタンプ、国宝四城への旅のスタンプがなく、天守入口にあるのかと思い、黒門をくぐっていくと管理事務所内にスタンプ台があることを発見して、目的の 100名城のスタンプと国宝四城への旅スタンプがあったので早速押した。かなり満足した。そこで朱印符なるものをもらったら、スタンプラリーのパンフをもらいこれまた貴重なものを頂いたと思った。天守の中へ入るとかなりの人の量で2階はずっと立ち止まる場面もあった。しかし、その間普段スッと通りすぎるところを柱、梁などたくさん触ることができて、これはこれでよかった。また、天守の中の写真もいろいろ撮ることができた。天守から出て外の青空市場で買い物、ソバをもう一杯食べて帰った。埋橋からさらに北行くと記念撮影する場所があり、新たな発見だった。次回はイベント内容によって、来る、来ないを決めないと城はゆっくり見えないなと思った。

天守閣への入口を正面にして撮りました。松本城と言ったら私はこの構図です。
1.別名
深志城
烏城
2.所在地
長野県松本市丸の内4番1号
3.城の種別
4.築城者
6.遺構
平城
天守 ・ 乾小天守 ・ 渡櫓 ・ 辰巳附櫓 ・ 月見櫓(以上国宝)
本丸 ・ 二の丸御殿跡 ・ 内堀 ・ 外堀 ・ 総堀の一部
島立右近貞永(小笠原貞朝の家臣)
5.築城年
1504年(永正元年)
matumotozyounoaruhuukei
matumotozyounosyuukaku
7.天守閣の構造
木造5層6階
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8.簡単な沿革
 松本城の創始は1504年(永正元年)と伝えられる。当時の信濃守護小笠原貞朝(おがさわらさだとも)は家臣島立右近貞永を深志の地に配し、この地に城を築かせた。
 その後、1550年(天文19年)に武田晴信(後の武田信玄)がこの地を侵略して、当時の信濃守護小笠原長時(ながとき)を追って、深志城に入った。このとき晴信により、3重の堀が巡る広大な平城に増築された。
 しかし、1582年(天正10年)、武田氏が滅亡して、織田信長が本能寺の変に倒れると、信濃は騒然となった。その混乱に乗じて小笠原長時の子、貞慶が深志城に入り、名を松本城に改めた。
 1590年(天正18年)時の天下人、豊臣秀吉は北条氏の居城小田原城を落とすと、その後に徳川家康を関東に封じた。その家康の押さえとして松本城には、家康の元から出奔した重臣石川数正を配した。石川数正は1592年(文禄元年)、文禄の役に従軍するも、陣中で没する。1594年(文禄3年)、子康長が松本城を3層4階の乾小天守と5層6階の天守を渡櫓で結ぶ連結式の城へと完成させる。
 月見櫓、辰巳附櫓は寛永年間(1624年〜1643年)に時の城主、松平直政(家康の孫)が三代将軍徳川家光を迎えるためにを増築し、連結・複合式と呼ばれる松本城のみに見られる特異な構造を今日に残している。
9.歴代城主
年代 歴代城主
1504年(永正元年)
〜1550年(天文19年)
島立貞永  小笠原貞朝の家臣、島立貞永が、深志城を築く。
1550年(天文19年)
〜1582年(天正10年)
武田氏  武田信玄が小笠原長時を破り、深志城を奪取する。
1582年(天正10年) 木曾義昌  織田軍侵攻で武田氏は深志城から撤退。木曾義昌が城を守る。
1582年(天正10年)
〜1590年(天正18年)
小笠原貞慶  本能寺の変後、武田信玄に追われた小笠原長時の3男小笠原貞慶が徳川家康の支援を受け、入城する。
 その後、松本城と改称する。
1590年(天正18年)
〜1592年(文禄元年)
石川数正  小田原攻めの論功行賞により石川数正が入封する。
1592年(文禄元年)
〜1613年(慶長18年)
石川康長  1592年(文禄元年)、石川数正、康長親子文禄の役に出陣。数正、陣中に没する。
 1593年(文禄3年)、石川康長、松本に戻り、天守改修に着手。
 1594年(文禄4年)、大天守・渡櫓・小天守を築く(1597年に完成という説もある)。
1613年(慶長18年)
〜1615年(元和元年)
小笠原秀政  1613年(慶長18年)、石川康長、金山奉行大久保長安の不正発覚に連座させられ、改易。豊後国佐伯に配流。 
1615年(元和元年)
〜1617年(元和3年)
小笠原忠真  1615年(元和元年)、大坂夏の陣で小笠原秀政、忠脩(ただなが)親子が討死したため、次男忠真が家督を継ぐ。
その後、戸田氏、松平氏{松平直政(徳川家康の孫)が辰巳附櫓と月見櫓を増築}、
堀田氏、水野氏が3代、戸田氏が2代続いて、明治維新を迎える。
10.ご案内
見所  天守は5重6階としては現存最古。天守・乾小天守・渡櫓・月見櫓・辰巳附櫓からなる天守群は国宝。本丸黒門桝形が復興、二の丸太鼓門桝形が復元されているほか、二の丸御殿跡は史跡公園となっている。
入城料 区分
大人 520円
小人(中学生以下) 250円
開城時間 8:30〜17:00(入城は16:30まで)
休城日 12月29日〜1月3日
アクセス 鉄道 JR中央本線・篠ノ井線松本駅から松本城黒門口まで徒歩20分
長野自動車道松本ICより15分
地図 syuuhennzu
11.感想
平成14年8月16日(金曜日) 晴れ