本丸跡から見た天守台石垣
5.遺構
4.築城年
3.築城者
2.城の種別
1.所在地
三重県松阪市殿町
平山城
蒲生氏郷
1588年(天正16年)
石垣
6.簡単な沿革
1588年(天正16年)、伊勢国に12万石をもって蒲生氏郷は入封した。氏郷は織田信雄の松ヶ島城は城が狭く、海岸に近かったため、これ以上の発展は望めないと判断し、松ヶ島城を廃し古城砦のあった四五百森(よいのもり)に大規模な城を築いた。これが松坂城である。
松坂城の築城は急速に進められ、松ヶ島城の瓦を再利用したり、領内の寺社を取り壊しその資材を転用したりしたとも伝えられる。このときに3重の天守も建てられたという。
築城2年後の1590年(天正18年)、氏郷は小田原役の軍功によって会津60万石に移封。替わって豊臣秀次家臣服部一忠、古田重勝が封ぜられたが、1619年(元和5年)幕府は徳川家康の8男頼宣を和歌山城に入れると、南伊勢17万9千石は紀州藩となり、松坂城にはその城代がはいった。また、城内の建物は一国一城令により取り除かれ、紀州藩は二の丸に館を設けていた。
「
松坂を作ったのは氏郷」
氏郷が松坂城を築城した際、この地を松坂と命名した。その由来は「松」の字は吉祥の字で、氏郷にとっても縁起の良い字であったようで、好んで使っている。松坂より移封となった会津でも会津若松と「松」の字を用いている。「坂」の字は当時天下人として確固たる地位を築いていた豊臣秀吉の居城大坂城の「坂」の字を賜り松坂城と命名した。松坂の名は明治時代になり、松阪と改称されている。
8.歴代城主
| 年代 |
歴代城主 |
|
1588年(天正16年)
〜1590年(天正18年) |
蒲生氏郷 |
1588年(天正16年)12万石をもって伊勢国に入封した蒲生氏郷が織田信雄の松ヶ島城を廃し、南伊勢の拠点として松坂城を築く。 |
1590年(天正18年)
〜1595年(文禄4年) |
服部一忠 |
1590年(天正18年)氏郷は小田原役の軍功により、会津国に移封となり、替わって豊臣秀次家臣服部一忠が入封する。 |
1595年(文禄4年)
〜1619年(元和5年) |
古田重勝
古田重治 |
1595年(文禄4年)一忠は関白秀次事件に連座して改易。ついで、古田重勝が入封し、その後古田重治が入封している。 |
| 1619年(元和5年) |
|
1619年(元和5年)以後は紀州藩領となり、城代がおかれた。そして 1644年(正保元年)大風のために天守が倒壊してしまう。 |
7.城に関する逸話・伝説
9.ご案内
| 見所 |
重要地点に構えられた10mを越える高石垣。特に中心部を取り巻く外郭ラインの高石垣は一見の価値がある。また、城跡内は、複雑な桝形虎口が連続し、折れが多用されており、規模の割には中々天守に近づけないようになっている。現在は建物はないが、往時の堅牢さを十分に感じることができる。
また、本丸の南に位置する隠居丸に本居宣長の旧宅が城下から移されている。 |
| 入城料 |
無料 |
| 開城時間 |
― |
| 休城日 |
無休 |
| アクセス |
鉄道 |
JR紀伊本線「松阪」駅から徒歩15分 |
|
車 |
国道42号線より5分 |
| 地図 |
|
 |
10.感想
平成16年4月25日(日) 晴れ
松坂城跡と言えば、蒲生氏郷が築城した城跡である。ここは城跡しかないという程度の認識だったので、あまり見に行こうという気にはならなかったが、近くに松阪農園ベルファームという農園が開園したので、農園に行くついでに松坂城跡も見てみるかという気になり、立ち寄ることにした。
松坂城跡(公園)は地図で見ると、結構広い範囲にあるが、公園に整備されているため遺構というものはあまりないであろうと思って、近くまでくると大きな石垣が目に飛び込んできた。それでも、整備されているからということが頭にあったので、その時はそれが石垣とは思わず、コンクリートの壁ぐらいとしか思わなかった。
表門を上がっていくと、それまで整備された公園という意識は一瞬にしてなくなり、一気にボルテージは最高潮まであがった。そこまでテンションをあげさせたのは表門跡、表門跡の正面にある高くそびえる石垣、これだけそろっていれば、テンションをあげさせるには十分である。中に上がっていくと、城郭としての跡は十分に残っていると思われる程の石垣群で各所に門跡、櫓跡があり、期待していなかった分余計に興奮した。また、櫓跡の中に敵見櫓跡というものがあり、他にはあまり見なかったものなので、とても印象深かった。また、本丸跡の下の曲輪には猿小屋があり、松坂城とはどういう関係なのか謎である。