年代 歴代城主
1523年(大永3年)
〜1542年(天文11年)
浅井亮政  1523年(大永3年)国人の反乱により、北近江の守護京極高清が尾張国に追われる。国人の中から亮政が台頭。
 1524年(大永4年)小谷城を築城し、京極高清、高延父子を迎える。
 1524年((大永5年)南近江国の守護六角定頼が小谷城を攻撃。
1542年(天文11年)
〜1560年(永禄3年)
浅井久政  1542年(天文11年)亮政が死去。次男久政が家督を継ぐ。
1560年(永禄3年)
〜1573年(天正元年)
浅井長政  1560年(永禄3年)久政が隠居。長政が16歳で家督を継ぐ。
 1567年(永禄10年)長政、織田信長の妹お市を娶る。
 1570年(元亀元年)4月、信長が越前国朝倉義景を攻撃。朝倉氏との同盟を重んじた長政は信長に離反し、信長を攻撃。
 6月28日姉川の戦いにおいて、織田・徳川連合軍に敗れる。
1573年(天正元年)
〜1575年(天正3年)
羽柴秀吉  1573年(天正元年)8月27日、信長に攻められ、小谷城で久政自刃。9月1日長政自刃。小谷城が秀吉に与えられる。
 1575年(天正3年)秀吉の長浜城築城に伴い、廃城となる。
7.歴代城主

 この城は堅城としてよく知られる城だ。「センゴク」という漫画をみてとても行きたいという衝動に駆られた。車で行ってみると、城へ上がる道がわからずウロウロしていると細い道があったので、ここから歩くのかと思い、上がっていくと”熊注意”という看板が出ていた。そんなにも危険なところなかと思い、引き返してしまった。しかし、車でどんどん上がっていくので、車で行けるのかと思い、車で上がっていった。道はすごく狭く対向車がきたらアウトという感じだ。その途中に大手口入口等の看板があり、歩いて行きたいと思うが、熊に遭遇するのは嫌だからあきらめて、車で細道を上がっていった。しばらくすると、行き止まりになっており、そこからは歩いて行くようになっていた。城跡としてはかなりいい保存状態だが、熊が出てくることを考えると見に行けなくて非常に残念だった。近くに金吾丸があったのでそれと、城跡の案内図を写真に収めて帰途についた。最後に百名城スタンプを博物館で忘れずにゲットして満足して帰った。

浅井家の堅城
8.ご案内
小谷城

 北近江国の戦国大名浅井亮政、久政、長政の3代の居城で築城年は1516年(永正13年)とも1524年(大永4年)頃とも伝えられる。
 長政は織田信長の妹お市を娶るも、1573年(天正元年)信長に攻められ、久政、長政父子はこの地で自刃している。その後信長より小谷城を任された羽柴秀吉が入る。しかし交通の便が悪いことを理由に長浜へ新しく城を築く。この際、小谷城の建物の大半は長浜城に移され、1575年(天正3年)頃廃城となった。

平成20年11月22日 土曜日 晴れ
9.感想
6.簡単な沿革
5.遺構

石垣の一部、堀、土塁

2.城の種別

山城

金吾丸跡

見所  堅城を誇った山城の城郭が残っているところであろう。車で途中まで上がれるが、上がったところに案内板がその山城の威容を物語っている。訪れた際は是非とも山城全体を攻略したい。但し、堅城で誇った山城は今でも健在なので、登山の格好で登山することをお勧めする。
入城料 なし
開城時間 なし
休城日 なし
アクセス 鉄道 登山口(駐車場)までJR北陸本線河毛駅から徒歩30分
河毛駅から湖国バス上山田線9分の小谷城址バス停から徒歩5分
北陸自動車道長浜IC〜国道365号線
地図
1.所在地

滋賀県東浅井郡湖北町

4.築城年
3.築城者

浅井氏

永正年間