


前に一度訪れた城であったが、城巡りの仲間からお誘いを受けたので、城好きな自分としては、快諾してた。岡崎城と言えば、先日マンションを建設中に地下から石垣の跡がみつかり、調査結果から三の丸のもので、その規模の大きさが新たに判り、新聞の記事に載るなどしていた。
今回は車をいつもと違う岡崎城の専用駐車場に止めて歩いて、茶室のある方から岡崎城へ行った。すると、石垣が見えてきた。いつもと違うところから行くと、このように新しい発見ができるのが城巡りの醍醐味である。城内を歩いてキーホルダーを購入して、三河武士のやかた・家康館へ行った。家康館へ昔に行ったことがあったが、中が変わっているかもしれないということで中に入ると、関ヶ原の合戦のストーリー仕立てのジオラマがあり、非常に楽しかった。最後は城南亭(茶室)で一服して帰ってきた。
| 1455年(康生元年)西郷稠頼が土塁を設けた砦程度のものを築く。西郷氏はこの城に拠り、松平氏を防ごうとしたが、1469年(文明元年)稠頼の子頼嗣は松平信光の子光重を養子として岡崎城を譲った。1524年(大永4年)松平清康は光重の養子信貞を追い、岡崎城に入って本城とした。 | ||
| 年代 | 歴代城主 | |
| 1524年(大永4年) 〜1535年(天文4年) |
松平清康 | 1524年(大永4年)松平清康が岡崎城に入り、本拠とする。 |
| 1535年(天文4年) 〜1549年(天文18年) |
松平広忠 | 1535年(天文4年)清康が織田攻めの陣中で家臣に誤って刺され、横死したため、家督争いが生じるが、1537年(天文6年)今川氏の援助により家督相続を認められ、岡崎城に入城する。 |
| 1549(天文18年) 〜1560年(永禄3年) |
今川氏城代 | 1549年(天文18年)松平広忠が、家臣によって刺され死去すると、今川氏は岡崎城に城代をおくようになった。 |
| 1560年(永禄3年) 〜1570年(元亀元年) |
徳川家康 | 1560年(永禄3年)桶狭間の合戦により今川義元が討死すると、今川氏の人質となっていた家康が、岡崎城に帰城し今川氏から独立する。以後、家康が浜松城へ移るまで、徳川氏の拠点となる。 |
| 1570年(元亀元年) 〜1579年(天正7年) |
松平信康 | 1570年(元亀元年)家康が浜松城に拠点を移した為、岡崎城には家康の長男信康が城主になった。 |
| 1579年(天正7年) 〜1590年(天正18年) |
徳川氏城代 | 1579年(天正7年)信康が武田氏に内通していると、織田信長に疑いをかけられ、自害。以後、岡崎城に城代が入る。 |
| 1590年(天正18年) 〜1600年(慶長5年) |
田中吉政 | 1590年(天正18年)徳川家康の関東移封で、豊臣家臣田中吉政が入城する。吉政の時代に最初の天守が建てられたと言われている。 |
| 1601年(慶長6年) 〜1611年(慶長16年) |
本多康重 | 1601年(慶長6年)関ヶ原の合戦後の本多康重が入り、以後40年間本多氏が城主を務める。このときに天守が再建される。 |
| 以後、岡崎城主には本多氏、水野氏、松平氏、本多氏と譜代大名がおかれた。明治時代には城は壊されたが、1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリート造の天守として再建された。 | ||