一度も落城したことがない 越後の要塞
6.簡単な沿革

 南北朝の頃、越後に土着した新田一族が築いたと言われ、滅亡後、守護上杉氏の支城となり、長尾氏が起こるとその一族、上田長尾氏の本拠となった。
 この長尾氏が歴史上に登場するのは、長尾為景が上田庄の管領家勢力を一掃してからで、長尾房長、政景父子としかわかっていない。上杉謙信の跡を継いだ景勝は政景の息子であったが、政景が死去してからは謙信の養子となり、春日山城に入った。景勝が春日山城に入ってからは、坂戸城は上杉氏の番城となった。上杉氏会津移封後は一時堀氏の支城として堀直寄が在城。1614年(慶長19年)直寄の信濃国飯山移封とともに廃城となった。

坂戸城跡
平成21年8月29日 土曜日 晴れ
7.歴代城主
年代 歴代城主
1512年(永正9年)
〜1552年(天文21年)
長尾房長  1512年(永正9年)長尾房長(景勝の祖父)による坂戸城の本格的な築城
 1514年(永正11年)越後守護の上杉定実派の上杉定憲が坂戸城を攻める(六日市合戦)。
 1535年(天文4年)長尾為景派の下平久長が坂戸城を五十沢口から攻める。(天文の乱)
1552年(天文21年)
〜1564年(永禄7年)
長尾政景  1564年(永禄7年)長尾政景(景勝の父)、野田尻の淵において、水死。
1564年(永禄7年)
〜1575年(天正3年)
上杉景勝  1575年(天正3年)上杉景勝、上杉謙信の養子となり、春日山城に入る。坂戸城は上杉氏の支城となる。
1575年(天正3年)
〜1598年(慶長3年)
上杉氏  1578年(天正6年)上杉謙信が急死。上杉景勝と景虎の養子同士の家督争いが勃発(御館の乱)坂戸城にも北条勢が景虎の援軍で攻めよせるが、落城せず。
 1598年(慶長3年)上杉景勝会津国に移封。
1598年(慶長3年)
〜1606年(慶長11年)
堀直寄  1598年(慶長3年)堀直寄が上杉氏の跡を引き継ぎ入城。
 1600年(慶長5年)堀直寄、関ヶ原の合戦に伴う越後一揆勢に攻められた下倉城を救援。
 1606年(慶長11年)堀直寄、長岡の蔵王堂城主が病没したため、蔵王堂城主を兼任。そのため、蔵王堂城を居城とし、坂戸城は代官をおく。
1606年(慶長11年)
〜1610年(慶長15年)
堀氏  1610年(慶長15年)堀家内紛により坂戸城は没収。堀直寄は改めて飯山4万石を与えられる。これにより坂戸城は廃城となり、現在に至る。
9.感想

 長尾政景の居城。上杉景勝、直江兼続の故郷で知られる城である。見るからの山城で頂上までは1時間ほどかかるとのこと。御年寄も一緒だったので、頂上までは諦めていたが、とりあえず行ってみるだけ行ってみようということで行くと、麓に駐車場があり、そこから先は徒歩で行くようになっていた。車止めがあったので、そこから先は無理だなと思って地図を見ていたら、近くに石碑があったので走って見てこようと思っていたが、、車止めを外して業務用の車が通って行くので、ダメもとで係りの人に年寄りがいるので、近くまで車で通してくれないかと交渉したら、快諾してもらった。車で石碑があるところまで上がっていった。道は車一台しか通れないような狭さだった。それでも少し走ると目的地へ辿り着いた。早速車から降りて写真を撮ろうとしたら虻等の虫がいっぱいいて、流石山城だと思った。石垣も残っており、山全体が居住空間と砦を兼ね備えていたのが、十分に窺い知ることができた。次回来るときは山城スタイルで虫があまりいない時期に行きたい。

5.遺構

土塁、石垣

4.築城年

南北朝時代

見所  上杉景勝、直江兼続の生誕碑がある国指定文化財「坂戸城跡」。登山コースを登れば、標高634mで戦国時代一度も落城したことのない要害であったことを体感できます。
 山の麓には御館(領主の居館跡)、家臣屋敷跡や埋田堀(内堀跡)を見ることができます。
入城料 無料
開城時間
休城日 無休
アクセス 鉄道 JR上越線六日町駅より徒歩20分
関越自動車道六日町ICより車で10分
地図
公式サイト
3.築城者

新田氏

8.ご案内
2.城の種別

山城

1.所在地

新潟県南魚沼郡六日町町坂戸

御館跡に建つ坂戸城跡石碑