田辺城
勅命により和議・開城した城
田辺城の城門
5.築城年
4.築城者
3.城の種別
2.所在地
1.別名
舞鶴城
平城
細川藤孝
1580年(天正8年)
京都府舞鶴市字南田辺15-22
7.簡単な沿革
6.遺構
石垣・復興隅櫓・復興城門
8.歴代城主
 丹後国12万石の領主となった、細川藤孝は1580年(天正8年)に新しく田辺城を築く。関ヶ原の戦いの折、細川家は東軍についた為、留守を預かる藤孝は田辺城に籠城して小野木重勝と死闘を演じる。この折に「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者であった藤孝を死なすわけにはいかないという後陽成天皇の要望により囲みをとくよう、勅使を送っている。その勅使のおかげで藤孝は囲みを解かれて、無事城をでることとなる。関ヶ原の主戦に参戦していた息子忠興の戦功により細川氏は豊前国小倉に移封し、代って京極氏が入って、大規模な城郭の拡張が行なわれた。
年代 歴代城主
1580年(天正8年)
〜1582年(天正10年)
細川藤孝  丹後国を領国とし、田辺城築城に着手。
1582年(天正10年)
〜1601年(慶長6年)
細川忠興  1582年(天正10年)本能寺の変後、藤孝は家督を嫡男忠興に譲る。
 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いにさいし、留守を預かる藤孝が50余日籠城。西軍の福知山城主小野木氏らに包囲されたが、勅命で和議を結ぶ。
1601年(慶長6年)
〜1622年(元和8年)
京極高知  関ヶ原の戦功により、細川氏は豊前国小倉に移封。代って京極高知が入り、丹後国を治める。
 その後、京極氏、牧野氏が続き、明治維新を迎える。城は明治6年に廃城となる。
9.ご案内
見所  一番の見所は今も残る細川時代に築かれた天守台の石垣であろう。他には昭和15年に再建された隅櫓。建物内は彰古館と名付けられた博物館となっている。隅櫓に変わって現在の田辺城のシンボルとなっている平成4年に復元された城門。
入城料 無料
開城時間 城内は出入自由 彰古館は午前9時〜午後5時
休城日 城内は出入自由
彰古館は毎週月曜日(その日が祝日の場合その翌々日) 祝日の翌日 12月29日〜1月3日
アクセス 鉄道 JR舞鶴線西舞鶴駅から徒歩5分
舞鶴若狭自動車道舞鶴西IC〜国道27号線
地図
平成17年8月15日 月曜日 晴れ
10.感想
 福知山城を見学した後、亀山城に行くか、田辺城に行くか迷ったが、福知山城から近いのが田辺城だったため、田辺城に行くことにした。田辺城に近づくと写真や雑誌でよく目にする城門が目に入ってきた。しかし、実物はかなり大きく驚いた。城外にNTTの前に石垣が一部あり、かつての田辺城の大きさを垣間見ることができる。城内は天守台・石垣等の遺構を残しつつ、公園として整備されている。天守台・石垣等の遺構は意外に見応えのあるもので満足できる内容だったが、彰古館(博物館)が休館日で見学することができなかったことが残念だった。