伊達政宗の生誕の地であり、 上杉家が治めた城

上杉神社正面

米沢城
年代 歴代城主
1238年(暦仁元年)
〜1564年(永禄7年)
大江氏
〜伊達晴宗
 1238年(暦仁元年)置賜郡長井荘の地頭大江氏がこの地に初めて築城したと伝わる。
 1380年(天授6年)大江氏は伊達宗遠に滅ぼされ、以後伊達氏の所領となる。
 1548年(天文17年)伊達晴宗が居城を西山城から米沢城に移す。
1564年(永禄7年)
〜1584年(天正12年)
伊達輝宗  1564年(永禄7年)伊達輝宗が家督を継ぐ。
 1567年(永禄10年)輝宗の長男として、政宗が米沢城で生まれる。
 1578年(天正5年)伊達晴宗死去。
1584年(天正12年)
〜1591年(天正19年)
伊達政宗  1584年(天正12年)伊達政宗がわずか18歳で家督を継ぐ。
 1585年(天正13年)輝宗が畠山義継に拉致され、義継とともに銃殺される。
 1589年(天正17年)政宗蘆名氏を攻略し、本拠を黒川城に移す。
 1591年(天正19年)豊臣秀吉が政宗の会津攻略を認めず、岩出山(宮城県)に移封を命じられる。 
1591年(天正19年)
〜1598年(慶長3年)
蒲生郷安  1591年(天正19年)豊臣秀吉の命により、会津領に蒲生氏郷が入り、米沢城へは家臣の蒲生郷安が入る。
1598年(慶長3年)
〜1601年(慶長6年)
直江兼続  1598年(慶長3年)蒲生家の家督問題により蒲生氏は宇都宮へ移封。替って、上杉景勝が会津領に入る。米沢城へは家臣の直江兼続が入る。
 1601年(慶長6年)関ヶ原の合戦に西軍に味方したことに責任を問われ、上杉氏は会津120万石から米沢30万石へ大幅な減封。以後、明治維新を迎えるまで、上杉氏が統治することとなる。明治維新後は廃城処分となり、上杉謙信を祭神とする上杉神社が本丸に建立された。
8.歴代城主

2日目の第2弾です。新潟県にもありましたが、ここの天地人博が一番”力”をいれているように感じました。資料、展示物、土産どれをとっても一番でした。前田慶次の「道中日記」の模写があり、思わず買い漁ってしまいました。
さて、上杉神社については、上杉家ゆかりのものが多く、展示してあり、軍旗は戦国時代にはためいていたと思うと、鳥肌がたつ程の迫力でした。また、行って時間をかけてゆっくり見たい土地であります。それとこの米沢城は伊達政宗の生誕の地でもあるので、もっと注目されても良いところだと思う。
それと、この米沢の地は車で行ってみて思ったのだが、米沢へ行く道がかなり限られており、山深いところにあるイメージである。まるで、徳川家康が上杉家を恐れて、上杉を山深い地に押しやったような感覚を覚えた。

10.感想
平成21年11月2日 月曜日 雨
6.遺構

土塁、堀

 鎌倉幕府の実力者大江広元の次子時広がこの地に初めて城を築いた。大江氏は8代広房まで続くが、1380年(天授6年)伊達宗遠に滅ぼされ、以後、伊達氏が城主となった。
 戦国時代には奥羽の小覇王独眼竜伊達政宗がこの地で誕生した。豊臣秀吉の世になると蒲生氏郷の所領となり、蒲生郷安が入城する。蒲生家の跡取り問題で上杉景勝の会津入封に伴い、重臣の直江兼続が米沢城に入城する。
 1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い後には、大幅な禄高削減に伴い、上杉景勝が入城する。江戸時代を通して上杉氏の居城となり、上杉鷹山など名藩主が輩出され、明治時代を迎える。

5.築城年
7.簡単な沿革
4.築城者

大江時広

1238年(暦仁元年)

2.所在地
3.城の種別

山形県米沢市丸の内

平城

1.別名

舞鶴城、松岬城

見所  明治維新後、廃城となり、本丸に上杉神社が建立されたため、城跡としての見どころは本丸を取り囲む堀ぐらいである。
本丸東側の舞鶴橋から向かって、右側、本丸北東隅には、12代藩主斉憲の顕彰碑が建てられているが、碑の周囲は3mほど土がかさ上げされている。かつては、城内最大の建物御三階櫓がそこにあり、櫓台であったことが窺い知ることができる。
 また、稽照殿に収められている上杉家の軍旗を始めとした品々は一見の価値ありです。
入城料 個人 一般:400円 大・高:300円 小・中:200円
20名以上の団体 一般350円 大・高:250円 小・中:150円
開城時間 神社(城跡)は常時開放
※但し稽照殿は午前9時〜午後3時45分
休城日 神社(城跡)は常時開放
※但し稽照殿は12月〜3月下旬の冬期間。1月1日〜3日、2月の雪灯篭まつり期間は開館
アクセス 鉄道 JR米沢駅から車で約10分
東北自動車道福島飯坂ICから車で約1時間
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