1535年 天文4年 (0歳)
 尾張国児玉に長政の子として生まれる。幼名、万千代。
1550年 天文19年 (16歳)
 織田信長に仕える。のち信長の養女(姪)と結婚する。
1565年 永禄8年 (31歳)
 織田軍の先鋒として美濃の猿啄城を陥れる。
1568年 永禄11年 (34歳)
 佐久間信盛、木下藤吉郎と共に近江の箕作城を陥れる。
1570年 元亀元年 (36歳)
 織田信長が近江坂本で朝倉・浅井勢と対戦。長秀は織田信長の援軍として向かう途中、一揆を平定する。
1571年 元亀2年 (37歳)
 佐和山城を攻めて磯野員昌を降服させ、佐和山城主となる。
1573年 元亀4年 (39歳)
 兵船を造船する。織田信長がその船に乗り、琵琶湖を渡って上洛、足利義昭を追放する。
1575年 天正3年 (41歳)
7月3日  正親町天皇より惟住(これずみ)の名字が与えられる。
1576年 天正4年 (42歳)
1月中旬  安土築城に際し、織田信長より普請奉行を命じられる。
1582年 天正10年 (48歳)
6月初旬
〜中旬
 本能寺の変で織田信長が横死。長秀は信孝と共に大坂城の津田信澄を討つ。その後、羽柴秀吉に合流して山崎で明智光秀を破る。
6月27日  清洲会議において、秀吉の三法師擁立を支持する。
1583年 天正11年 (49歳)
4月21日  賤ヶ岳の戦いで秀吉に味方。海津より琵琶湖を渡って加勢する。
1584年 天正12年 (50歳)
3月中旬
〜11月中旬
 小牧・長久手の戦いで秀吉に味方するも、積極的には参戦せず。
1585年 天正13年 (51歳)
4月16日  腹の中の腫瘍がもとで没する。享年、51歳
丹羽長秀、関係年表