豊臣秀吉、関係年表
1537年 天文6年 (0歳)
2月6日  日吉丸、尾張国中村郷で誕生する。
1554年 天文23年 (18歳)
この年の
出来事
 織田信長に仕える。
1560年 永禄3年 (24歳)
5月19日  織田信長に従い、田楽狭間で休息中の今川勢を攻め、今川義元、戦死。(桶狭間の戦い)
1562年 永禄5年 (26歳)
 この頃、おね(後の北政所)と結婚する。
1566年 永禄9年 (30歳)
9月24日  織田信長の命により、美濃国、墨俣に墨俣城を築城する。
1567年 永禄10年 (31歳)
9月の
出来事
 織田信長に従い、美濃国、稲葉山城を攻略する。
1568年 永禄11年 (32歳)
9月12日  織田信長に従い、上洛する途中、信長の命により、丹羽長秀とともに六角氏の箕作(みつくり)城を攻略する。
1569年 永禄12年 (33歳)
8月の
出来事
 織田信長の命により、但馬国に出陣、生野銀山城などの諸城を攻略。
1570年 元亀元年 (34歳)
4月20日  織田信長に従い、朝倉義景の討伐軍に参陣する。
4月28日  越前国で対陣中に浅井長政の離反の知らせを受け、主君織田信長は朽木谷経由で京都へ撤退する際に殿(しんがり)を務める(金ヶ崎の退き口)
6月19日  織田信長に従い、浅井長政の討伐軍に参陣する。
6月28日  信長に従い、浅井・朝倉連合軍と姉川を挟み激突する。(姉川の戦い)徳川家の活躍により、勝利を得る。
10月2日  浅井、朝倉連合軍が籠る比叡山を囲む主君織田信長の支援に駆けつける。
10月22日  細川藤孝らと共に三好三人衆方の摂津国御牧(みまき)城を攻略。
11月5日  近江国から京都に着陣し、朝倉義景の京都侵入に備える。
12月14日  二条晴良(はれよし)の仲介により、織田、浅井・朝倉連合軍の間で和平が結ばれる。
1571年 元亀2年 (35歳)
5月6日  近江国鎌刃(かまは)城を攻撃する浅井長政の軍を撃退する。
9月12日  織田信長に従い、比叡山延暦寺を焼き払う。
1572年 元亀3年 (36歳)
3月7日  織田信長の命に従い、浅井長政の居城小谷城を攻める。
9月16日  織田信長の命により、近江国虎御前山の守備につく。
1573年 天正元年 (37歳)
5月29日  柴田勝家と共に小谷城を攻める。
8月13日  浅井氏救援にきていた朝倉軍を織田信長とともに近江国田上山にて撃退し、越前国へ追撃する。
8月20日  織田信長に従い、越前国賢松寺で朝倉義景を自刃に追い込む。これにより朝倉家は滅亡する。
8月26日  織田信長と共に近江国虎御前山に帰陣し、小谷城を総攻撃する。
8月27日  小谷城を落城させ、浅井長政を自刃させる。これにより浅井家は滅亡。
1574年 天正2年 (38歳)
3月19日  近江国長浜に長浜城を築城する。
9月の
出来事
 家臣より精兵を選び黄母衣・腰母衣衆を編成する。
11月13日  上洛した織田信長により、大和地方の経略を命じられる。
1575年 天正3年 (39歳)
5月21日  織田信長に従い、長篠城を囲む武田勝頼を設楽ヶ原において破る(長篠の戦い)
8月28日  織田信長の命により、明智光秀、稲葉一鉄らと共に加賀国に侵攻する。
1576年 天正4年 (40歳)
7月15日  織田信長より、中国地方攻略を命じられる。
10月  実子秀勝(幼名を石松丸)病死。享年6歳。 
1577年 天正5年 (41歳)
2月13日  織田信長に従い、紀伊雑賀衆、根来衆の攻撃の陣に参陣する。
3月15日  紀伊雑賀衆、根来衆が降伏する。
3月21日  織田信長より佐久間信盛らと共に雑賀衆に備えることを命じられる。
8月8日  織田信長より柴田勝家らと共に加賀国において上杉謙信の侵攻に備えるように命じられる。しかし、その後勝家と作戦上の行き違いにより、無断で加賀の陣を離れる。
10月23日  中国攻めの総大将として播磨に出陣。
11月の
出来事
 但馬国武田城を攻略し、異父弟長秀(後の秀長)に但馬国を支配させる。
12月3日  宇喜多直家方の播磨国上月城を攻略。その後、尼子勝久、山中鹿之助らを入れて守らせる。
この年の
出来事
 10歳になる信長の4男於次丸を養子にもらう。後の前年に死去した秀勝の名前を与える。
1578年 天正6年 (42歳)
1月1日  織田信長に安土城での茶会に呼ばれる。その席で播磨攻略を賞せられて、乙御前の釜を与えられて、茶会を開くことを許される。
2月23日  播磨国三木城の別所長治が毛利氏に応じて挙兵する。
3月29日  別所長治の三木城を攻撃する。
4月18日  吉川元春、小早川隆景ら3万の毛利軍が播磨に侵攻し、尼子勝久らが籠る上月城を包囲する。
4月29日  滝川一益、明智光秀、筒井順慶らが織田信長の命により、上月城の救援に来る。
5月3日  荒木村重らと共に構成される1万弱の織田軍が上月城東方3キロの高倉山に着陣し、毛利軍と対峙する。
5月6日  織田信長より命を受けた上月城救援軍、織田信忠、信雄らが加古川に着陣。
5月の
出来事
 明智光秀、丹羽長秀らと共に丹波国黒井城を攻撃。
6月16日   織田信長より、上月城より別所氏への攻撃を優先するように支持を受ける。
6月26日  小早川隆景、吉川元春、宇喜多直家が上月城を攻撃。
 秀吉は、別所長治を攻めるために高倉山から姫路北方の書写山に後退。
7月3日  上月城の尼子勝久が城兵の助命を条件に自刃。7月5日開城。
8月10日   織田軍が志方城を攻略し、三木城を包囲する。
1579年 天正7年 (43歳)
5月の
出来事
 播磨国三木城と荒木村重方の花隈城を結ぶ補給路を制圧。
7月24日  仙石秀久を奉行に任じ、有馬温泉の復興を命じる。
9月4日  秀吉は宇喜多直家の毛利からの離反と織田信長への帰属を報告し、朱印状の下付を求めるが、織田信は秀吉の独断を許さず、播磨国へ追い返す。
1580年 天正8年 (44歳)
1月17日  播磨国三木城、陥落(三木の干殺し)。これにより播磨国が平定。
4月24日  弟の羽柴秀長に但馬平定を命じる(6月出陣)。
6月6日  鳥取城攻撃のため、姫路城を出陣。
9月21日  鳥取城主山名豊国が秀吉の調略で織田方に下る。秀吉は城主の地位を安堵(後、山名の家臣が豊国を追い出し、鳥取城は再度、毛利方につく)。
1581年 天正9年 (45歳)
3月18日  吉川経家が将兵とともに鳥取城に入城、秀吉に対抗して、籠城態勢を築く。
6月25日  鳥取城攻撃のため姫路城を出陣。
7月12日  鳥取城を包囲開始。
10月24日  鳥取城将吉川経家が城兵の助命を条件に開城。25日経家、自刃。これにより因幡平定。
1582年 天正10年 (46歳)
3月15日  中国地方攻めのため、姫路城を進発。備中国高松城を目指す。
6月3日  高松城を攻略中、本能寺の変で織田信長が明智光秀の凶刃に倒れることを知る。
1583年 天正11年 (47歳)
9月6日  大坂城の築城開始。 
1585年 天正13年 (49歳)
7月11日  従一位関白の宣下を受けて、藤原秀吉となる。また、母は大政所、正室おねは北政所と呼ばれるようになる。
1586年 天正14年 (50歳)
 徳川家康を大坂城に来させ、拝謁させる。事実上、家康を臣従させたことになる。
1598年 慶長3年 (62歳)
6月16日   高野山金剛峰寺の金堂を伏見へ移す工事を見に行ったときに、目まいをおこして倒れる。
8月18日  午前2時、死去。