

梅坂から入って売店の前から天守を撮影 |
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| 1.別名 | 鶴ヶ城、小高木城、黒川城 | ||
| 2.所在地 |
福島県会津若松市追手町1-1 |
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| 3.城の種別 |
平山城 |
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| 4.築城者 |
蘆名直盛、蒲生氏郷 |
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| 5.築城年 | 1384年(元中元年)、1592年(文禄元年) | ||
| 6.遺構 |
城跡、石垣、堀、復元天守 |
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| 7.天守の構造 | 鉄筋コンクリート造り鉄骨及び一部木造、5層7階 | ||
| 8.簡単な沿革 | |||
| 南北朝時代、蘆名直盛によって、原型が築かれたと伝えられ、以来、会津地方を治める蘆名氏歴代の本拠として利用された。 戦国時代、蘆名氏は奥州制覇をもくろむ伊達政宗と死闘を繰り広げたが、攻略されて1度目の落城を経験する。 政宗の去ったあと、会津の新しい領主となったのは蒲生氏郷。氏郷は「黒川」と呼ばれていた城下を「若松」と変え、城名を「鶴ヶ城」として人心の一新をはかった。前任地の伊勢国松坂も氏郷の命名で「松」は氏郷にとって、吉相の文字とされた。また、「鶴」には蒲生家の家紋が立鶴紋、氏郷の幼名も鶴千代という由縁がある。 江戸時代には3代将軍家光の異母弟保科正之が入封し、会津国23万石の藩祖となった。 幕末維新の動乱が最終局面を迎える頃、鶴ヶ城は新政府軍による猛攻を1ヵ月にわたって凌ぎ、堅城としての力量を発揮した。しかし、忠義を貫いた会津武士たちの奮戦も叶わず、2度目の落城という悲運を味わうことになる。 |
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| 9.歴代城主 | |||
| 年代 | 歴代城主 | ||
| 1384年(元中元年) 〜1589年(天正17年) |
蘆名氏 | 1384年(元中元年)蘆名直盛のとき、黒川(のちの会津若松)に館を築造。(東黒川館)。その後、蘆名氏の全盛時代が続く。 1538年(天文7年)蘆名盛舜(もりきよ)のとき、黒川の大火により東黒川館焼失。 1543年(天文17年)規模を広げて修築。黒川城、小高木城と呼ばれる。 |
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| 1589年(天正17年) 〜1590年(天正18年) |
伊達政宗 | 1589年(天正17年)政宗、蘆名氏を打ち破り、黒川城に入城。 | |
| 1590年(天正18年) 〜1595年(文禄4年) |
蒲生氏郷 | 1590年(天正18年)小田原の陣に遅参したため、政宗会津国没収。豊臣秀吉、黒川城へ入り奥州仕置きの拠点とする。 1592年(文禄元年)氏郷、黒川城を改築、城下の町割りを定める。黒川の名を若松、城の名を鶴ヶ城と改める。 1593年(文禄2年)7層の天守完成。 |
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| 1595年(文禄4年) 〜1598年(慶長3年) |
蒲生秀行 | 1595年(文禄4年)3月17日蒲生氏郷急死。氏郷の嗣子秀行が跡を継ぐ。 | |
| 1598年(慶長3年) 〜1601年(慶長6年) |
上杉景勝 | 1598年(慶長3年)秀行、家中の不穏を理由に宇都宮へ転封。替りに越後国より上杉景勝が入封。 | |
| 1601年(慶長6年) 〜1627(寛永4年 ) |
蒲生秀行 | 1601年(慶長6年)関ヶ原の合戦で西軍についたことを理由に上杉家移封。替りに蒲生秀行が再び会津国へ入封する。 1611年(慶長16年)大地震により天守が傾く。 |
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| 伊予国松山より加藤嘉明が入封し、2代続き、保科氏が入る。その後、松平姓に改姓し幕末を迎える。幕末は白虎隊の悲運で知られる通り、戊辰戦争で落城。 | |||
| 10.ご案内 | |||
| 見所 | 戊辰戦争後に取り壊された5層の天守が復元されているほか、城跡を含む石垣、堀が往時の姿のまま残されている。中でも石垣に戊辰戦争の際の弾痕が残っており、一見の価値はある。 | ||
| 入城料 | 大人 | 400円 | |
| 小人(小学生以上) | 150円 | ||
| 開城時間 | 午前8時30分〜午後5時00分(入城は午後4時30分まで) | ||
| 休城日 | 7月第1月曜日〜木曜日、12月第1火曜日〜木曜日 | ||
| アクセス | 鉄道 | JR磐越西線会津若松駅からバス10分、鶴ヶ城北口下車 | |
| 車 | 会津若松駅ICから5.7km 西出丸駐車場(有料):普通車200台収容可 三の丸駐車場(有料):普通車40台 南口駐車場(有料):普通車35台収容可 |
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| 地図 | |
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| 11.感想 | |||
| 平成21年11月1日 日曜日 晴れ | |||
| 前回、直江兼続のゆかりの地として新潟県に行った。今回は関ヶ原の合戦の前の居城として、福島県、山形県へと2泊3日の旅行へ行った。東北地方へは初めての旅行だったので、非常に楽しみだった。会津若松城は名前も良く聞いて知っていた。上杉家が在城した期間は非常に短く、あまりゆかりのものは残っていない。上杉はこの城よりもむしろ神指城という城を築いていたので、なおさらである。今も残る石垣に銃弾の跡はしっかり見てきた。城内は資料館になってしまっているが石垣、堀などの城郭の跡は残っているので、見応えは十分にある。また、櫓も復元が進んでいるので、また、次回に来たい。来るときは秋以外の季節したい。というのは城内はイチョウの木が植えられており、非常に銀杏のにおいがして城郭内は鼻が曲がる臭さだったからだ。 | |||
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