信長の天下への足がかり
    
登山道を登りきったところで天守閣を撮りました。
    
1.別名 稲葉山城  井の口城
2.所在地 岐阜県岐阜市金華山天守閣18
3.城の種別 山城
4.築城者 二階堂 行政(ゆきまさ)
5.築城年 1201年(建仁元年)
6.遺構 建造物は加納城に移築されたため、一部石垣を残すのみである。
7.天守閣の構造 鉄筋コンクリート造3層4階
8.簡単な沿革    
   鎌倉時代初期二階堂行正が最初に築城し、戦国時代斎藤道三・織田信長が登場し、一躍有名になった。
 この岐阜という地名は、尾張政秀寺の沢彦(たくげん)が岐山、岐陽、岐阜の三つを進言し、三つのうちから信長が選んだものという。この三つの地名は、それまで美濃の禅僧など文人たちが、美濃府城を雅称していたもので、中国周の文王が岐山より起こり、天下を平定したという故事にちなむものである。
 1600年(慶長5年)天下分け目の関ヶ原合戦では城主織田秀信(信長の孫)が西軍に味方し、前哨戦で敗れたため、翌1601年(慶長6年)徳川家康により天守閣、石垣等すべて取り壊し、加納城へ移され廃城となった。
 現在の天守閣は1956年(昭和31年)7月市民の寄付により再建されたものである。
9.歴代城主    
      年代 歴代城主  
1201年(建仁元年) 二階堂行政  この頃、鎌倉幕府の執事として、二階堂行政がこの地に築城。その後、鎌倉幕府の執事が居城として、この城に入った。稲葉光資(みつたか)の時代に稲葉山城と名付けられる。
 室町時代に入り、土岐氏が川手城を本城として守護の座に就く。稲葉山城は筆頭家臣の斎藤利永が修築して居城とした。その後、稲葉山城の城主は斎藤氏が継ぐ。利永の孫斎藤利国は土岐成頼、政房2代の執事。しかし、利国の子利親は戦死をし、その遺児利良は幼少であったため、白樫(しらかし)城主の長井利安が稲葉山城に移ってきた。
1539年(天文8年)
〜1548年(天文17年)頃
斎藤道三  一介の油売りから身を起こした斎藤道三が美濃国の守護である土岐頼芸を追放し、美濃一国を治める。
1548年(天文17年)頃
〜1561年(永禄4年)
斎藤義龍  自らの手腕で手に入れた稲葉山城を道三は子の義龍に譲り、道三自身は鷺山城に隠居する。しかし、義龍が道三の本当の子ではなく、道三により追放された頼芸の子ではないかという疑いを持ち、父子の関係は悪くなる。
 1556年(弘治2年)4月、道三と義龍は長良川で戦い、道三は戦死する。しかし、義龍も5年後病により急死する。
1561年(永禄4年)
〜1567年(永禄10年)
斎藤龍興  義龍の急死により、子の龍興が14歳で城主になるも国政を顧みず、遊興三昧の日々を送ったため、家臣竹中半兵衛が戒めるために稲葉山城を攻め取る等、家臣の心は龍興から離れる。
1567年(永禄10年)
〜1576年(天正4年)
織田信長  弱体化した稲葉山城を織田信長が攻め取る。小牧山城から移って来た信長は故事に習って、稲葉山城を岐阜城と改める。
1576年(天正4年)
〜1582年(天正10年)
織田信忠   安土城を築城した信長は岐阜城から安土城に移り、嫡男の信忠を岐阜城に入れた。
1582年(天正10年)
〜1583年(天正11年)
織田信孝  1582年(天正10年)本能寺の変により、織田信長、信忠はこの世を去る。
 信長の3男信孝が織田家の跡目を狙うも、羽柴秀吉に敗れる。信孝は信雄を通して、秀吉から自刃を命じられて、この世を去る。
  織田信孝が死去した後、大垣城主池田恒興の子、元助、輝政、羽柴秀吉の養子秀勝が城主になる。
1600年(慶長5年) 織田秀信  秀勝が朝鮮の役で病没すると、織田信長の孫、秀信が城主になる。
 1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いの折、秀信は西軍についたため、関ヶ原の戦いの前哨戦において、福島正則等を先鋒とする東軍の諸将に岐阜城は落とされる。
 
  1601年(慶長6年)、徳川家康の娘婿奥平信昌がこの地に封ぜられたが、山上の城であること、斎藤道三から織田秀信まで城主10人のうち9人までは横死という不吉さを嫌い、加納に城を築くことにし、天守閣、櫓などもすべて取り壊されて、加納城に移された。これにより、岐阜城は廃城となる。
10.ご案内    
       見所  標高329mの金華山山頂に築かれた天守閣からの眺望は素晴らしい。また、金華山は大変自然に恵まれているので、体力に自信のある人は自然を満喫しながら、登山をするのにもよい。
 山麓には信長居館跡の発掘調査も進められている。他にはここで刺された政治家板垣退助の銅像も建っている。
入城料 大人(高校生以上) 200円
小人 100円
開城時間 午前9時〜午後5時半(3月16日〜10月15日)
午前9時〜午後4時半(10月16日〜3月15日)
休城日 無休
アクセス  鉄道 JR岐阜駅下車徒歩30分
JR岐阜駅下車バス岐阜公園前下車
その後、ロープウェイを使用。
名神一宮JCT〜東海北陸道岐阜各務原IC〜国道21号線 
地図  
10.感想    
  平成11年11月13日(晴れ)
 この城には天守閣が山頂にあるので、天守閣に行くにはロープウェイ、もしくは、山を登っていかなくてはいけない。(>_<)
 山を登っていくのにも普通のハイキングコースと馬の背というコースがある。普通のハイキングコースは時間はかかるけど、緩やかな、坂道で比較的ちゃんとした道である。馬の背は時間はかなり、短縮されて近道だけど、かなり、急斜面の連続で岩もむきだしで、落葉などで、道も滑って危険だから、このコースで行くときはちゃんとした、格好をお勧めします。まー、ちなみに山頂から馬の背コースで下りるときは、入り口に”急斜面のため女性、お年寄りのかたは気をつけてください”みたいな看板があるので、いいと思います。また、この馬の背コースは麓のほうで道が分かれたりしているので、私の知っている限りでは何人か違う道から出てきたということもありました。(・o・)
 この岐阜城には、何度か行ってるんだけど、いい写真がなかったので今回は一枚だけです。また、HPに写真をどんどん載せていきたいので、今度はたくさんいいショットを撮りに行きたいです。
 この城は山を登っていくので、いい運動にもなるので、何回行ってもあきない城です。
   
  平成20年11月8日(曇り)
   久しぶりに城めぐりにやってきた。また、今日から城めぐりを開始したいと思う。そういう意味も込めて最初に行く城としてこの城を選択した。この岐阜城は城巡りを本格的に始めた第一歩だからである。さて、この岐阜城以前来たときは使い捨てカメラで写真もろくに撮れていなくて、改修中だったりと記録としてあまり残っていなかったので、写真を撮るのはすごく新鮮だった。といっても前まで使っていたカメラは壊れてしまって使い慣れたいないカメラで撮ることになってしまったのだが・・・。
 前置きはこれぐらいにして城はというと天気も良くなかったので、ロープウェイで上がり、天守を見ることにした。以前とはあまり変わり映えはしていなかったが、天守がすごくきれいになっていた。まあ模擬天守なので、写真もそこそこ撮った。城内は展示室になっているので、入るのはやめた。目的は百名城のスタンプ。台帳によると歴史博物館にあるということなので、入場料を払わずにスタンプのみを押して退出した。目的もすんだので、そそくさと岐阜城をあとにした。この城をきっかけにまた、城巡りを再開できたらと思う。
     
     
岐阜城