彦根城天守閣。右側に入り口がある方向から撮影しました。
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| 1.別名 |
金亀城(こんきじょう) |
| 2.所在地 |
滋賀県彦根市金亀町1−1 |
| 3.城の種別 |
平山城 |
| 4.築城者 |
井伊直継(なおつぐ:直政の嫡子) 井伊直孝(なおたか:直政の次男) |
| 5.築城年 |
1603年(慶長8年)に着工 1622年(元和8年)に完成 |
| 6.遺構 |
天守 ・ 附櫓及び多聞櫓(以上国宝)
櫓4棟 ・ 馬屋1棟(以上重要文化財)
玄宮楽々園(名勝)
内濠 ・ 外濠(旧中濠)以内は特別史跡 |
| 7.天守閣の構造 |
木造3層3階 |
| 8.簡単な沿革 |
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関ヶ原の戦いで勝利を収めた徳川家康は徳川勢力の最前線基地として、佐和山城に腹心の井伊直政を入れた。しかし、井伊直政は関ヶ原の戦いで受けた鉄砲傷が原因でまもなく死去してしまう。そこで直政の嫡子直継は父直政の意向でもあり、徳川家康の意向でもあった新城の築城を始めた。しかし、この直継は病気がちだった。それに反して直政の次男は貫禄もある。英傑であったので、家中では直継よりも直孝をという声が強まっていた。また、ここは西国への抑えともなる重要地点だったので、幕府も直継よりも直孝へと考えるようになり、家督は直継から直孝へと移された。
そして、この直孝が兄直継が手がけていた新城彦根城の築城の続きを行い、完成させた。
その後は井伊家の居城として代々受け継がれていき、幕末の桜田門外の変で暗殺される井伊直弼を登場させることになる。 |
| 9.歴代城主 |
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年代 |
歴代城主 |
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1601年(慶長6年)
〜1602年(慶長7年) |
井伊直政 |
関ヶ原の合戦の功により佐和山城18万石を与えられるも、翌年、関ヶ原の合戦の際に受けた傷が元で、死去。 |
1602年(慶長7年)
〜1614年(慶長19年) |
井伊直継 |
直政の嫡男直政が井伊家を継ぎ、築城にかかる。
1606年(慶長11年)に天守が落成。
大坂冬の陣で工事が中断する。直継の異母弟の直孝が伏見城代から、兄に代わって井伊軍を統率し、軍功を挙げる。 |
1614年(慶長19年)
〜1659年(万治2年) |
井伊直孝 |
直孝が城主となり、直継(直勝と改名)は上野国安中3万石に分家される。大坂夏の陣で直孝は功を挙げて、5万石加増されて、2年後にも5万石加増される。
1622年(元和8年)、彦根城完成。
1633年(寛永10年)、直孝、5万石加増され、30万石となり、城付米5万石とあわせると、33万石となる。
1642年(寛永19年)、城下町がなり、彦根城郭が完成する。 |
| 以後、明治維新まで、彦根城主は井伊家が代々務める。 |
| 10.ご案内 |
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見所 |
小高い緑の丘にそびえる国宝に指定されている天守をはじめ、櫓など多くの遺構を残しており、城としてのまとまった姿を楽しめる。
4代藩主直興が造営したと伝えられる玄宮園も素晴らしく、玄宮園から見る天守閣も格別である。玄宮園内では有料であるが、抹茶を頂くこともできる。 |
| 入城料 |
大人
(高校生以上) |
500円 |
小人
(中学生以下) |
200円 |
| 開城時間 |
午前8時30分〜午後5時 |
| 休城日 |
無休 |
| アクセス |
鉄道 |
JR彦根駅下車徒歩15分 |
| 車 |
名神高速道彦根インターから10分 |
| 地図 |
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| 11.城に関する逸話・伝説 |
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| 12.感想 |
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平成12年8月14日(月) |
彦根城は日本の国宝四城の一つである。彦根城をまず、最初に見ることができたのは琵琶湖の東側を通り抜けて雑踏を抜けて開けたところに左の方に山があり、その上に彦根城を確認することができ、かなり目立っていた。それから、城の方に向かって車を走らせていくと水濠にぶつかり、濠沿いに車を走らせると駐車場があり、車を止めて少し歩いて行くと玄宮園という庭園につき、そこにある鳳翔台という茶室で一服した。そこからの景色が一番いい眺めになるようにこの庭園は造られていると、そこでお茶を出してくれた人がおっしゃっていた。そこをグルっと散歩して隣の楽々園にいくと、そこは井伊直弼の生誕の地で直助直筆の俳句が数点展示してあった。また、地震の間などがあり、その建築様式は現代の建築学にも通用するところがあるというのでかなり、驚いた。
それから黒門のほうから山を登り、最初の思ったことは上り坂が登れば登るほど急になっていて敵兵からの侵入を困難にするという仕掛けが残っていたことである。それから、まず西の丸三重櫓に入った。そこからは石田三成の居城佐和山城があった佐和山をみることができた。本丸は噂に違わず階段が非常に急であった。今でこそ、手すりがついているが、昔は手すりもなかったらしい。中は彦根城から発掘されたもの等が展示してあった。それから太鼓門櫓に入った。中は全国の城の写真が飾ってあった。それから、下山していき天秤櫓に着いた。中は”葵 徳川三代”の展示がしてあった。彦根城は自然がたくさんある山の中にあるので四季折々楽しめるところだとも思った。 |
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| 平成13年11月24日(土) 晴れ |
彦根城は今回で2回目となる。前回は見ることが精一杯になっていて写真を撮るのを忘れていたので、今回は写真を撮ることを重点的にしてみて回った。
前回は黒門から知らずに入城してしまったが、今回は彦根城を見るのに正規のルートとしてある、表門から入城した。表門から入場してまず、圧倒されるのは階段の長さだ。下から見上げると実に高い。しかも敵から攻められたときに攻めにくいように階段の一つ、一つの長さ、高さがわざと、ぐちゃぐちゃにしてある。この手法は姫路城にも見られるが、、これは敵が上(城兵)を見て上がってきたら、こけるようにしてあるためだ。そうなると、敵は下(足元)を見て上がってこないといけない。こうなると、城兵の鉄砲、弓矢の格好の的になる寸法だ。
次に天秤櫓だが、これは左右対称になっていて、橋を挟んで石垣の積み方が全く違う。この訳は右側が築城当時のものであり、左側が改修して整ったものらしいが、どうして、一緒に改修をしなかったのだろうか?と疑問を持つのは私だけだろうか。しかし、後世の人間としては違いが比較できて嬉しいことなんだが。それと、この天秤櫓は羽柴秀吉の長浜城の大手門を移築したものと伝えられている。
それから、聴鐘庵、太鼓門櫓を見て、天守閣に入っていったが、そこで事件は起きた。昨年行った時は天守閣内の階段は急で階段一つ、一つの奥行きも短い、登りにくい木の階段だったのに、今回行ってみると、急さはあまり変わっていなかったが、木の階段が金属製のスベリ止めの付いた階段になっていた。あれは当時の雰囲気を楽しみたい私としてはあまりにも似つかわしくない物に見えてしょうがなかった。お年寄りのためとはわかるが、もっと別な方法はなかったのだろうか?木の階段を半分だけ残してみるとか、。私の知人の話によると昔は手すりも付いていなかったらしい。それから比べると手すりを付けただけでも十分だと思うのだが・・・。
それから、西の丸三重櫓に行った。天秤櫓もそうだったのだが、前回は「葵 徳川三代」の関連で櫓内に入ることができたのに、今回は入ることはできなかった。櫓内を写真に収めてなかったことが今更ながら、悔やまれる。また、この西の丸三重櫓は浅井長政の居城小谷城の天守閣を移築したものと伝えられている。天秤櫓といい、倹約家、徳川家康の四天王井伊直政の息子達が建てた城であって、リサイクル主義である。
あと、鐘の丸の紅葉はとてもきれいだった。中でも、イロハ紅葉はとてもきれいだった。玄宮園では前回同様、鳳翔台で抹茶を一服してから、見て回ったが、木々が色づいていてとてもきれいだった。しかし、残念ながら、デジカメの電池が切れてしまい、撮れずじまい。昨日、津城跡を撮ってから、充電しなかったのが、非常に悔やまれた。 |
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| 平成17年3月20日(日) 曇り |
| 週間天気予報・昨年の梅林の状態から見て、1週間前から計画を練った。しかし、3月20日になると、週間天気予報は微妙にはずれ曇りになっていた。しかし、雨が降っているよりかはマシかと思い出発した。道中少し雨に降られたが彦根城についた。車から降りるとかなり冷え込んでいて薄着で来ていた自分たちは震え上がった。しかしその寒さも佐和山門口をみつけた辺りからすっかり忘れていった。彦根城は過去何度かきているが写真に収めていないところがあるので、今回の城巡りでしっかり写真に収めようと決めていた。そのため佐和山門櫓などスムーズに発見でき撮ることができた。それから大手門にて入城券を購入して大手口より天守を目指すことにした。大手口から石段をあがり天秤櫓・太鼓門櫓を見て天守に辿り着いた。本丸内には2,3本梅の木があったが2,3分咲きでまだまだであった。そのまま天守内に入っていったが、結構たくさんの人であった。天守を出て黒門から出て、そのまま玄宮園に入っていった。玄宮園の中は緑がほとんどなく寂しいものであった。それから玄宮園内でお茶をして梅林へ向かった。梅林はかなり広い規模であったが、ほとんど咲いておらず、これもまた寂しかった。しかし水門跡・米蔵跡(梅林)が見れてよかった。次回は是非梅林が満開のときに訪れたい。 |
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| 平成19年9月15日(土) 晴れ |
| 築城400年祭ということもあり、普段一般公開されていない櫓を見る為と、日本百名城のスタンプラリーが開催されていたことに刺激されて、彦根城を訪れることとした。今回、一般公開されていた櫓は天秤櫓、太鼓門櫓、天守、西の丸三重櫓、馬屋、佐和口多門櫓と彦根城にある全ての建物をみることができたので、非常に良い機会に来ることができたと改めて思った。そして、ここへ来たら茶室に訪れるようにしている。この茶室は、一度試しで入ってみたら、雰囲気の良さにやみつきになり、彦根城に行ったら必ず行くようになってしまった。今回、茶室で初めて教えてもらったことがある。それは、茶室の柱がそれぞれ微妙にずらしてあり、主賓席に座ると、柱が重なって庭が一番きれいに見えるといった工夫がされていること。実際に座ってみたが、なるほどと思い、先人の知恵の深さに改めて驚嘆した。今回みることができなかったが、築城400年祭のイベントに乗じて「ひこにゃん」というマスコットキャラクターがいるらしい。このひこにゃんは井伊家の象徴である赤備えの兜をかぶった猫で2代藩主井伊直孝公を手招きして雷雨から救った招き猫をモデルにしているとのことです。 |
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