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1.天守閣 | |
| 2.着見台 | ||
| 3.太鼓門櫓 | ||
| 4.鐘楼 | ||
| 5.西の丸三重櫓 | ||
| 6.観音台 | ||
| 7.天秤櫓 | ||
| 8.鐘の丸 | ||
| 9.表御殿 | ||
| 10.馬屋 | ||
| 11.黒門 | ||
| 12.米蔵、水門 | ||
| 13.大手門 | ||
| 1.天守閣(国宝) 彦根城天守は付櫓(つけやぐら)と多聞櫓が付属する、複合式天守と呼ばれる。天守東側石垣に取り付く切妻(きりつま)の、今日玄関と呼ばれる白亜の蔵造りの建物は御金蔵として建てられた。竣工時30万石の井伊家の天守としては、本来5層天守がふさわしいが、3層である。 これは創業時の18万石の規模で築城を急ぎ、天守は大津城天守を移築したためであった。大津城は関ヶ原合戦で城主の京極氏が東軍方につき、西軍の総攻撃に焼け落ちなかった「縁起の良い天守」でもあった。。 |
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| 2.着見台 もともとここに9.8メートル(5間)に10.6メートル(6間)の二重櫓があって着見台(月見櫓)といい、佐和山に出る月を見て、 観月雅会が催された。また城門佐和口及び京橋口の看視に当たり、城門へ到着する早出、早馬、行列の先触などをいち早く発見して役人に連絡したのである。明治初年に櫓はとりこわされ、今は展望台として眺望よく、中秋の名月の夜の眺めは素晴らしいものがある。 |
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| 3.太鼓門櫓(重要文化財) 本丸の表口をかためる櫓門で、築城後、ここに太鼓をおいて城中に合図をしたところから、この名が付いた。この櫓は、その昔、彦根山にあった彦根寺の桜門ではないかと言われ、門の両柱にある釘跡は、当時造られた釘穴跡だとも言われた。しかし、昭和32年(1957年)の解体修理によって、この釘跡は移築前の建造物であることがわかった。その後の調査により、佐和山城の城門を移築したものと言われている。 現在はこの建物の内部に全国各地の城の写真が展示されている。 |
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| 4.鐘楼(時報鐘及び聴鐘庵) この鐘は、12代藩主井伊直亮の弘化元年(1844年)に鋳造したもので、当初鐘の丸にあった鐘の音が城下の北の隅に届かなかったので、現在地に移した。現在は午前6時、9時、正午、3時、6時と一日5回ついている。 大老井伊直弼は禅の精神と相通ずる茶道にひかれ、自らも「宗観(むねみ)」と号し修行を続けた。大老の著「茶の湯一会集」に書かれている「一期一会」の茶道精神は有名である。この精神をしのび、現在は時報鐘の管理棟を改造した聴鐘庵で薄茶の接待をしている。 |
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| 5.西の丸三重櫓(重要文化財) 天守閣から西の方にある広場を西の丸という。この西の丸のはずれの10メートルにおよぶ石垣上にある三重櫓は、浅井長政の小谷城の天守を移築したものといわれ、万治年間(1658〜61年)に建てられたものである。 |
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| 6.観音台 ここを観音台といい、往時産土神が祭られていたと伝えられている。藤原鎌足(かまたり)の子藤原不比等(ふひと)が近江の太守に任じられて淡海公と呼び、この土地に住まわれたこともあり、その子藤原房前(ふささき)護持仏として所持していた黄金の亀の背に乗った高さが1寸8分聖観音を本尊にして一寺を建立し金亀山彦根西寺観音と名付けた。それは養老4年(720年)元正天皇の御代のことであった。 そのとき以来、彦根山を金亀山ともいい、後にできた彦根城も金亀城とも呼ぶようになった。 なお、ここは旧藩時代に出郭があり、合戦の際に質子を入れるため人質郭と呼ばれていたが、今はこの郭も取り払われて残っていない。 |
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| 7.天秤櫓(重要文化財) この櫓は、羽柴秀吉が創築した長浜城大手門を移築したものと伝えられているもので、ちょうど天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれた。この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つと言われている。元来は武器庫であるが、敵に対して鉄砲や矢が撃てるようになっている。 また、天秤櫓の前にある廊下橋は当時、塀や屋根があり、敵に動きが悟られないように造られていた。さらに有事の際は、橋脚を切り落とし(落とし橋)敵の本丸への侵入を妨げるようになっていた。現在は固定されているが、当時橋脚を支えた跡が石垣(下から2メートル)に残っている。 また、嘉永7年(1854年)に中央部から西方の石垣を足元から積み替える程の大修理あり、東半分の石垣がごぼう積みであるのに比べ、西半分は切石積みになっている。修理の際に異なった工法をとったためとされているが、定かではない。 |
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| 8.鐘の丸 築城当時時報鐘をここに置いていたため、このような名称となっている。鐘の音が城下北隅に達しないので、鐘を太鼓門櫓外(現在地)に移した。この鐘の丸には、大広間御殿と御守殿の二つの建物があったが、大広間御殿は享保17年1732年)江戸屋敷の広間として移され、御守殿は明治の初めまでここにあった。 |
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| 9.表御殿 ここは、彦根藩主の藩庁があったところで、ここで藩の政治が行われ、また、藩主が日常生活を送った。この建物は、彦根城郭の主要な建物の一つであった表御殿を復元したもので、目の前に広がる大きな2棟の建物は、対面や儀式に使われた書院造りの建物である。表御殿の中央を占める能舞台や、藩主が日常生活を営んだ奥向は、当時の姿さながらに木造で復元している。現在、これらの建物は彦根城博物館として開館している。 |
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| 10.馬屋 藩主の馬部屋で常時十数頭が何時でもご用に役立つよう大切に保護されていた建物で、現在残されているのは、彦根城のみで他に類例のない珍しい建物である。L字形をなしており、全長62.2メートル奥行5.9メートルある。 |
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| 11.黒門 天守より北東に位置する。玄宮園の方からでは、天守に続く道はこの門を通っていくのが最短になる。 現在は券売所がある程度で往時の面影を残すものはない。 |
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| 12.米蔵跡(梅林)・水門跡 ここには幕府の預かり米5万石を収める米蔵17棟が建っていた。築城された頃は米蔵もなく、ここには重臣の鈴木石見とその子の主馬が居住していた。石見はのち水戸徳川家へ、主馬は直継に従って安中へ去ったが、そのためここは主馬郭とも言われる。今は梅林となり季節には格好の行楽地となるが、これは昭和25年彦根城が観光百選に選ばれたのを記念して植えたものである。この梅林には約7400m2の広さをもち紅梅白梅約600本が植えられている。 水門跡には絵図に「米出し」と書かれており、門を抜けると石段になり内堀への水面へと続き、この石段が船着場となっていたと考えられ、琵琶湖からの水運によって米を出し入れしていたことがわかる。 |
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| 13.大手門跡 天守より北西に位置する。現在は内堀に橋がかかっている程度で、大手門という門は実在しない。しかし、桝形を組んでいることから往時の堅固さが窺われる。 |
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