1.大天守
2.西天守
3.乾小天守
4.東小天守
5.西の丸
6.腹切丸
はシャッターポイントです。縄張り図から今現在の姫路城に迫ってみましょう!!
姫路城を歩く
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まだまだ、調べたりない所、画像が足りないようです。m(__)mペコ
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1〜4.天守閣(1.大天守、2.西天守、3.乾小天守、4.東小天守) (国宝)

 1580年(天正8年)、羽柴秀吉が現在の大天守のある位置に3層天守を構えたのが、最初である。1601年(慶長6年)池田輝政は、秀吉時代の天守を解体し、部材を小天守および、渡り櫓に転用、新たに現存する大・小天守を構えた。
今日目にする輝政が築いた大天守は、外観5層、地上6階、地下1階の7重天守で、地階から7重目桁材までを、東西2本の心柱が、建物の主軸となって支えている。
 輝政による大天守は、高さ16mの天守台石垣上に31.5mの高さ、地階平面が東西9間、南北6間(1間は約197cm)の大きさで建てられた。姫路城は、この5層7重の大天守と、3基の3層小天守(東、西、乾)これらを結ぶ2層の渡櫓(わたりやぐら)からなる天守曲輪を中心に
形成されている。この天守形式を「連立式天守」と呼ぶ。
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5.西の丸

 徳川家康の孫千姫が城主本多忠政の嫡男忠刻に嫁ぐのに、化粧料で1618年(元和4年)に造営された。備前丸(本丸)・天守曲輪のある姫山に対して、西の丸の一帯は鷺山(さぎやま)と呼ばれ、千姫が嫁ぐ前には出城があった。この鷺山出城を削って上部を平坦にし、岩山の削り残しを多聞櫓の麻踏(まぶみ:櫓が建つ平面)とした。
なお西の丸の西側と北側、姫山の北側は原生林が茂る急斜面で、その外側に水濠と勢隠(せがくし)曲輪が形成されており、
容易に人は近づけない。
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6.腹切丸

 構造が切腹の場、検視役の席、首洗いの井戸に見えるところから、腹切丸と呼ばれている。ここは帯郭櫓といい、搦手を守る大切な場所。
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