リーガロイヤルホテルより見た本丸(日中)
 
2025年11月24日撮影
リーガロイヤルホテルより見た広島城全体(夜景)

2025年11月24日撮影
リーガロイヤルホテルより見た本丸(夜景) 
2025年11月24日撮影
ページトップへ  
中御門跡石垣

2025年11月24日撮影
二の丸側から見た中御門跡

2025年11月24日撮影
リーガロイヤルホテルより見た広島城全体(日中)

2025年11月24日撮影
ページトップへ  
本丸下段から見た中御門跡
 
2025年11月24日撮影
本丸下段より上段側を望む
 
2025年11月24日撮影
中御門跡
 
2025年11月24日撮影
ページトップへ  
本丸中央部
 
2025年11月24日撮影
本丸下段の内側
 
2025年11月24日撮影
本丸下段中央部
 
2025年11月24日撮影
ページトップへ  
裏御門跡
 
2005年11月18日撮影
トイレの裏にある崩れた石垣
 
2005年11月18日撮影
本丸上段を撮影
 
2025年11月24日撮影
ページトップへ  
広島護国神社
 
2005年11月18日撮影
広島大本営跡
 
2005年11月18日撮影
南小天守跡より天守礎石を望む
 
2005年11月18日撮影
ページトップへ  
二の丸と太鼓櫓、多聞櫓
 
2025年11月24日撮影
内堀より東側を望む

2025年11月24日撮影
内堀より西側をを望む 

2025年11月24日撮影
  ページトップへ
二の丸跡
石垣と建物に囲まれた二の丸は馬出しの機能を持つ郭で、全国の近世城郭の中では特異な配置であり、広島城の特徴とされています。
この郭は毛利時代(16世紀末)に築造されたもので、外側から内部が見えにくく、本丸からは内部が見える構造としており、防衛機能を考慮したことがうかがえます。
郭内には、表御門、太鼓櫓など近世初期の建物が残っていましたが、原爆により倒壊、焼失しました。現在の建物は、築城400年を契機に江戸時代の姿に復元整備したものです。(現地案内文より)
は撮影ポイント

現地案内板より

広島城内を撮影してきました。以前撮影してきた写真と併せて掲載しています。

天守
城内は博物館になっている。鉄筋コンクリートによる再建天守だが、2026年3月22日に老朽化により閉城。
は撮影ポイント
被爆した石垣(中御門跡)
 
2005年11月18日撮影


 
  ページトップへ
被爆樹木_ユーカリ
 
2005年11月18日撮影
被爆樹木_マルバヤナギ

2005年11月18日撮影
被爆樹木_クロガネモチ

2005年11月18日撮影
  ページトップへ
原爆の爪痕
【被爆樹木_ユーカリ(爆心地から740m)】
 1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐え、生き残ったものです。爆心地側の南面は原爆の熱線により黒く焼けただれています。1971年(昭和46年)、台風で地上2.5mのところで折れましたが、再び根元から新芽を吹き返しました。その後も幾度かの台風に耐えながら育っています。
【被爆樹木_マルバヤナギ(爆心地から770m)】
 1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。
【被爆樹木_クロガネモチ(爆心地から910m)】
 1894年(明治27年)の日清戦争開戦後、広島城内に大本営がおかれました。このクロガネモチは、大本営前庭の庭園に植えられていたもので、1945年(昭和20年)8月6日の原爆にも耐え、生き残りました。
【中御門跡】
 1945年の原子爆弾の投下により、中御門は焼失しました。門とともに櫓台の石も焼け、赤く変色しひび割れています。(以上現地案内文より)
は撮影ポイント
本丸
本丸は上段、下段に分かれている。上段は広島城の中核となる区画で、天主閣が北西角にそびえる。かつて上段一帯には広島藩の役所と殿様の住居を兼ねた「本丸御殿」があった。その後、1877年(明治10年)に広島鎮台司令部の洋館(のちの大本営)が建てられた。
本丸上段の南側階段を下りると、本丸下段が広がる。江戸時代には馬場が設けられ、周囲には土蔵が並んでいた。その後、1896年(明治29年)、第5師団司令部1号庁舎が建設され、関連施設が立ち並んでいたが、原爆により焼失。
は撮影ポイント
天守礎石(旧天守台より移動)
 
2005年11月18日撮影
北側石垣を本丸より望む
 
2005年11月18日撮影
奥に崩された石垣
 
2005年11月18日撮影
ページトップへ  
広島城のある風景
天守から東側を望む
 
2025年11月24日撮影
天守礎石からみた天守
2005年11月18日撮影
 
ページトップへ  
平櫓・多聞櫓・太鼓櫓(復元)
平櫓、多聞櫓及び太鼓櫓の創建時期は天正期末(16世紀末)頃と推定されています。このうち太鼓櫓は17世紀初期に改修されたものの、3棟とも江戸時代を通して、二の丸の馬出機能を確保する建物として存在していました。その後、平櫓及び多聞櫓西半分(平櫓側)は明治初期に取り壊され、残った太鼓櫓や多聞櫓東半分についても昭和20年8月6日の原爆被爆によって倒壊炎上しました。
この建物は、平成元年の広島城築城400年を記念して、発掘調査や昭和初期に当時の陸軍築城本部が作成した実測数値、明治から昭和にかけての写真等をもとに復元に着手し、平成6年8月に完成したものです。(現地案内文より)
は撮影ポイント
平櫓
 
2025年11月24日撮影
太鼓櫓と多聞櫓

2025年11月24日撮影
南側からみた太鼓門櫓、多聞櫓

2005年11月18日撮影
  ページトップへ
①天守 
➁本丸
➂二の丸表御門
④平櫓・多聞櫓・太鼓櫓
⑤二の丸跡
原爆の爪痕
⑥被爆樹木_ユーカリ
⑦被爆樹木_マルバヤナギ
⑧被爆樹木_クロガネモチ
⑨中御門跡
 
三の丸跡から天守を望む
 
2005年11月18日撮影
天守拡大

2005年11月18日撮影
 
  ページトップへ
 天守から北側を望む

2025年11月24日撮影
天守から西側を望む
 
2025年11月24日撮影
天守から南側を望む
 
2025年11月24日撮影
ページトップへ  
天守を本丸より望む
 
2025年11月24日撮影
天守へ上がる階段下より望む
 
2025年11月24日撮影

天守を東側から望む

2005年11月18日撮影
ページトップへ  
二の丸表御門二の丸内側から撮影

2005年11月18日撮影
ページトップへ  
二の丸表御門(復元)
表御門は天正期末(16世紀末)頃の構造と推定され、昭和20年の原爆被爆による消失までの約350年間存続していました。
現在の表御門は、平成元年の広島城築城400年を記念して復元に着手し、平成3年に完成したものです。
この平成の復元では、昭和9年に当時の陸軍第五師団経理部が作成した実測図をもとに、発掘調査の成果や明治期から昭和期にかけての写真を総合的に検討して、消失後も残存した表御門の礎石(柱下の石)上に、昔どおりの工法によって往時の姿をよみがえらせています。(現地案内文より)
は撮影ポイント
平櫓と二の丸表御門

2025年11月24日撮影
御門橋から二の丸表御門

2025年11月24日撮影

2025年11月24日撮影
ページトップへ