犬山城を正面から撮りました。
    
1.別名 白帝(はくてい)城
2.所在地 愛知県犬山市大字犬山字北古券65−2
3.城の種別 平山城
4.築城者 織田信康(織田信長の叔父)
5.築城年 1537年(天文6年)
6.遺構 独立天守閣(国宝)
7.天守閣の構造 木造本瓦葺3層4階地下2階付
8.簡単な沿革    
   犬山城は1537年(天文6年)に現在の位置に天守が造営され、織田信康が城主となったが、1547年(天文16年)に岐阜の稲葉山城で戦死、その子織田信清が城主となった。その後何代か城主がかわり1595年(文禄4年)石川光吉が守った。
 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後、小笠原吉次が入城した。
 この石川、小笠原両氏の手によって、近世の犬山城が完成された。
 その後、平岩親吉のあと、1618年(元和4年)成瀬正成が城主となってからは、成瀬氏が継いで明治に至った。
 1871年(明治4年)9代目当主、正肥(まさみつ)のとき、廃藩置県で廃城となり、天守を除くほかはほとんど取り壊された。1891年(明治24年)には濃尾震災で天守の東、南と西北の付櫓・城門が壊れたので、1895年(明治28年)旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で譲られ、唯一の個人所有として、現在に至っている。
 日本最古の桃山風の天守閣は望楼風天守閣とも呼ばれ、1935年(昭和10年)5月13日国宝に指定された。
9.歴代城主    
      年代 歴代城主  
1537年(天文6年)
〜1547年(天文16年)
織田信康  1537年(天文6年)城位置が決まる
1547年(天文16年)
〜1564年(永禄7年)
織田信清
1564年(永禄7年)
〜1570年(元亀元年)
 1565年(永禄8年)織田信長が犬山城を攻めて、信清を追放。その後、丹羽長秀を城代とし、織田長定、池田恒興、織田勝長らを城主とする。
1570年(元亀元年)
〜1581年(天正9年)
池田信輝
1581年(天正9年)
〜1582年(天正10年)
織田信房  1582年(天正10年)本能寺の変
1582年(天正10年)
〜1584年(天正12年)
中川定成  1584年(天正12年)小牧長久手の戦いで犬山城落城
1584年(天正12年) 池田信輝
1584年(天正12年) 加藤泰景(城代)  小牧長久手の戦いにより、羽柴秀吉の城代となる
1584年(天正12年)
〜1587年(天正15年)
武田清利(城代)  小牧の和議により、織田信雄の城代となる
1587年(天正15年)
〜1590年(天正18年)
土方雄良(城代)   
1590年(天正18年)
〜1592年(文禄元年)
長尾吉房(城代)   1590年(天正18年)羽柴秀次の城代となる
1592年(文禄元年)
〜1595年(文禄4年)
 三輪五郎右衛門  
1595年(文禄4年)
〜1600年(慶長5年)
 石川光吉  
1601年(慶長6年)
〜1607年(慶長12年)
小笠原吉次   
1607年(慶長12年)
〜1612年(慶長17年)
 平岩親吉  名古屋城主の徳川義直の傅役として、平岩親吉が城主となる。しかし、親吉が没すると犬山藩は廃藩となる。
1618年(元和4年)
〜1625年(寛永2年)
 成瀬正成  以後成瀬家が城主になる。1868年(慶応4年)念願の犬山藩になるも、明治維新で藩は消滅する。
10.ご案内    
       見所  最大の見所は木曽川南岸にそびえる、日本最古の桃山風天守である。廃藩置県後は県の所有となったが、地震で破損したのち、その修復を条件に旧藩主成瀬家の所有となったことでも有名である。
入城料 大人
(高校生以上)
400円
小人
(中学生以下)
100円
開城時間 午前9時〜午後5時
(ただし、入城は午後4時半)
休城日 12月29日〜31日
アクセス  鉄道 名鉄犬山遊園駅より徒歩15分
名神高速道路小牧I.Cより30分
地図  
   
11.城に関する逸話・伝説   
       
12.感想    
          平成14年3月17日  日曜日  晴れ
 この日は、小牧山城に引き続いての城巡りだった。犬山城には、過去に2,3度来たことはあったが、その時は城に対する思い入れは、さほどでもなかったので、犬山城に対する評価は、天守閣の急な階段を登ったことで、昔の人は小さかったんだなぁ〜。と思ったり、小さな城だなぁ〜。と思ったぐらいで、国宝にしては、チャッチイなと思っていた。けど、城に興味を持って、あの城を眺めてみると、見え方が全然変わってきた。最初のイメージでは、小さな天守閣しかないというイメージだったけど、今回、天守閣に登るまでにいろいろな物を発見した。一つは今はもう、なくなってしまっているが、他の城同様に、至るところに門があったということだ。今はここにあったという立て札しかないが、一部礎石が一つ残っていたりするところもある。他には、城の所有者である成瀬氏の家が(今、そこにお住みになっているかはわからないが)、成瀬という表札とともに、天守閣へあがる階段の横に存在していることには、かなり驚いた。なぜならば、どう見ても、不自然なような気がするからである。しかし、城の所有者が城の近くに住んでいるのだから、おかしくないといえば、おかしくないのだが・・・。今回、改めて、犬山城を見直したのが、それでも他の城に比べると、敷地がどうみても小さいような気がした。後から聞いた話なのだが、犬山城は個人所有のため、土地が広いとそれだけ税金がかかって、資金繰りに大変であるため、土地を売却してしまったようだ。そのため現在の狭い敷地になっているらしい。最初、個人所有と聞いて、羨ましい限りだとおもったが、個人所有の城はそれなりに、維持していくのが大変でもあるようだ。
   
平成19年11月17日  土曜日  晴れ 
国宝四城の旅スタンプラリーの最後の城ということで訪れることにした。この城も過去に行ったことのある城だったので、スイスイ行けると思ったが、以前来た道と違う道で来てしまい、城下町っぽいところを通ってきたので、新鮮さがあった。車を駐車場へ止めて城へ上がっていった。だいぶ寒くなってきたので、紅葉しているかなと思ったが、下のほうは若干早い感じであった。スタンプの場所はそれとなく探してみたが、見つからなかったので、とりあえず城へ入ることとした。城内は相変わらずこじんまりとしており、階段もこんなに狭かったかな?と思うほど狭かった。最上階へあがり回廊をぐるっと回ると金網がなくて、危険だったが、景色が非常にきれいで他の城ではなかなか味わうことができない景色を感じることができた。
肝心のスタンプはというと、入口の門の上にある管理事務所にあった。4個目のスタンプということで景品も頂いて帰ってきた。事務所の人が言うには、各城で用意している景品が違うらしく犬山城はその中でも一番お金がかかっているらしい。ちなみに景品は言うと、手ぬぐい2枚で近くの土産屋にも同等品がおいてあり、1枚500円で2枚で 1000と行ったところだ。
   
全国唯一、個人所有だった城
犬山城