東海道の要衝

5.遺構

4.築城年

3.築城者

1.所在地

階段を上がって門をくぐった所で撮った天守閣

6.天守閣の構造

掛川城

 掛川城へは一度過去に言っているが、今年の大河ドラマの催し物があったので、一度言っておきたいと思っていた。城をみるにはあいにくの天気だったが、今回はイベント会場を見学するのが第一の目的だったので、特に問題ないとした。城内と御殿内は以前訪れたときと特に変化はなく、イベント会場のみテントで増設している感じであった。中はドラマのあらすじや登場人物の紹介で特に変わり映えのないものだった。また限定の土産もなく拍子抜けだった。しかも以前来た時食べたおいしい葛湯の店もなくなっており非常に残念だった。

                 平成18年7月23日(日曜日)雨
8.歴代城主
年代 歴代城主
1469年
〜1486年(文明年間)頃
朝比奈泰熙  今川義忠の命により築城。
1513年(永正10年)
〜1557年(弘治3年)
朝比奈泰能
1557年(弘治3年)
〜1569年(永禄12年)
朝比奈泰朝  今川氏真と共に小田原へ転退。
1569年(永禄12年)
〜1580年(天正8年)
石川家成
1580年(天正8年)
〜1590年(天正18年)
石川康通
1590年(天正18年)
〜1600年(慶長5年)
山内一豊
1601年(慶長6年)
〜1607年(慶長12年)
松平定勝  山内一豊が関ヶ原の合戦の功により、土佐国を与えられ転封となったため、その後に徳川家康の異父弟である松平定勝が入る。
1607年(慶長12年)
〜1617年(元和3年)
松平定行
  その後、松平氏、本多氏、井伊氏、太田氏等が11家26代が城主を務め、掛川城は明治維新を迎えて、東海の要衝としての役目を終える。
木造3層4階
静岡県掛川市城下6−12
朝比奈備中守泰熙
文明年間(1469〜1486年)
2.城の種別
城郭御殿 太鼓櫓
平山城

 掛川城は、戦国時代の文明年間(1469年〜1486年)、駿河守護大名今川義忠が遠江支配の拠点として、重臣朝比奈泰熙に築かせたことに始まります。
 1560年(永禄3年)に行われた桶狭間合戦で今川義元が織田信長によって倒されると、1568年(永禄11年)、義元の子氏真は武田氏に駿河を追われ、掛川城に立てこもりました。翌年、徳川家康は掛川城を攻め長期にわたる攻防の末、和睦により開城させました。家康領有後、重臣石川家成が入城し、甲斐からの武田侵攻の防御の拠点になりました。
 1590年(天正18年)全国平定を達成した豊臣秀吉は、徳川家康を関東に移すと、家康旧領地には秀吉配下の大名を配置し、掛川城には山内一豊がはいりました。その一豊が在城している10年の間に一豊は城下町の整備を行うとともに、この時初めて天守閣を建立し、近世城郭として完成させました。
 江戸時代には、掛川城は徳川親藩の松平氏や、江戸城を築いた大田道灌の子孫太田氏など11家26代の居城として栄えました。貴族的な外観を持つ天守閣の美しさは、「東海の名城」と謳われました。しかし、1854年(嘉永7年)大地震により、天守閣など大半が損壊。御殿、太鼓櫓、蕗の門などの一部を除き、再建されることなく明治維新を迎え、1869年(明治2年)廃城となりました。
 その後、御殿は様々に使用されながら残り、太鼓櫓も残っておりましたが、天守台や本丸の跡など一帯は公園とされてきました。
 しかし、1994年(平成6年)4月、長年の市民の願いがかない、天守閣は140年ぶりに日本初の木造により、再建されました。

7.簡単な沿革
9.ご案内
見所  1994年(平成6年)4月、日本で初めて木造で復元された天守閣もなかなかの見応えはある。しかし、掛川城御殿(重要文化財)は現存するものとしては数少ない城郭御殿であり、極めて貴重である。また、その中に入っていけるので、当時、この城郭御殿を利用していた人々の気分を味わうことができる。
入城料 区分 個人 団体(20名以上)
大人(高校生以上) 300円 240円
小人 150円 120円
開城時間 午前9時〜午後5時(3月1日〜11月20日)
午前9時〜午後4時半(11月21日〜2月28日)
ただし、入城は書く30分前まで
休城日 12月30日〜1月1日
アクセス 鉄道 JR掛川駅下車、徒歩10分
地図

 掛川城というのは行ってみるまでは誰の城なのかわからなかった城だった。しかし、行ってみると素晴らしい城だった。最近、再建された城だけど、木造による再建なので、エレベーターとかはなくて、一番上まで登るのに、すべて階段というところがよかった。しかも、木の匂いがプンプンしているところもさらに、よかった。掛川城には、近くに駐車場がないため、天守閣から歩いて10分ぐらいの所の立体駐車場に車をとめて、天守閣に向かった。天守閣に向かうのに、まず目に入るのが、大手門でその大手門の横に大手門番所がある。大手門をくぐって、川沿いに歩いて行くと左手に”こだわりっぱ”という土産屋の小さな商店街が見えてくる。その商店街の中に山内一豊とその妻千代の記念撮影用のハリボテがある。それから、右に曲がって行くと階段があり、それを登って門をくぐって入館券を買って、左手に見える階段を登って天守閣に上がった。天守閣は日本初の木造での復元で、中は展示場になっていたが、階段は急だった。最上階には説明してくれるおじいちゃんがいた。外観には敵が登ってこれないような棒までしっかり復元されていた。天守閣の入り口の左手には篭城しているときに、井戸から霧が出て、城が見えなくなって、敵兵を驚かせたという逸話が残っている霧噴井戸というものが残っていた。
 重要文化財に指定されている掛川城御殿には秋篠宮夫妻が見にこられたときの写真がかざってあった。また、映画”雨あがる”の撮影にも使われていたらしく、その撮影現場のスナップ写真も飾ってあった。中には登城をうながす大太鼓があった。係りの人がたたいてみてくれたけど、ちょうど時代劇に使われるあの音と同じだった。

10.感想                 平成12年8月13日(日曜日)晴れ