はシャッターポイントです。縄張り図から今現在の熊本城に迫ってみましょう!!
かなりの城郭が残っているのに、まだまだですな〜。(→o←)ゞあちゃー
大天守と小天守から成る連結式天守。
大天守は高さ29.7mの3層6階地下1階。
一見5層に見えるのは2層目と3層目の
ひさしが屋根に見えるためである。
また、大天守は実戦向に考案されており、
「昭君の間」(将軍の間)が造られ、
抜け穴があったといわれている。
この部屋は清正が、豊臣秀頼を
迎えるために造られたと言われている。
小天守は高さ17.5mの2層4階地下1階で、
大天守の西側にずれた位置に設けられている。
小天守は大天守とは違い、夫人のための建築であった。
1877年(明治10年)の西南の役では実戦向きの城として、難攻不落ぶりを十分に発揮したが、このときに天守閣は焼失してしまう。1960年(昭和35年)現在の天守閣が再建された。
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宇土櫓は小西行長の居城であった
宇土城の天守閣を移築したものと言われている。
現在は3層5階地下1階であるが、熊本城が完成した
1607年(慶長12年)頃は2層であった。
のちに「一国一城令」が発せられた1615年(元和元年)頃、
高欄付の望楼を乗せ、現在の形になったと言われている。
1877年(明治10年)の西南戦争のときに
焼け残った唯一の多層櫓で、天守級の規模を誇ったため、
「三の天守」とも称される。
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