豊公園から天守閣を目指したときに一番最初に撮った写真です。
1.所在地
2.城の種別
3.築城者
4.築城年
5.遺構
滋賀県長浜市公園町10−10
6.天守閣の構造
平城
羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)
天守閣跡 ・ 石垣(発掘調査により) ・ 井戸跡 ・ 堀
長浜城の遺構と伝えられる移築された建造物
大通時台所門 ・ 知善院表門 ・ 彦根城天秤櫓 ・ 彦根城三重隅櫓
1574年〜1576年(天正2年〜天正4年)
鉄筋コンクリート造3層5階 本瓦葺(昭和58年4月竣工)
7.簡単な沿革
8.歴代城主
1573年(天正元年)江北領主となった羽柴秀吉は、翌年夏築城を開始。元々は今浜と呼ばれたところだが、秀吉は織田信長の名にちなんで長浜と改めたと言われる。それから、城下町を造営して天正3,4年頃に入城した。その後1582年(天正10年)には清洲会議で柴田勝家に譲られ、勝家の甥柴田勝豊が城主となるが、早くもその年の11月には秀吉は勝豊を攻めて、降伏させている。以後1585年(天正13年)から6年間は山内一豊が城主となり、1606年(慶長11年)からは徳川家康の異母弟内藤信成が城主となり、大修築を行う。1612年(慶長17年)にはその子信正が城主となるが、1615年(元和元年)摂津高槻城への移封により、長浜城は廃城となり、建造物及び石垣の大半は彦根城に移された。
現在の天守閣は、1983年(昭和58年)に往時を推定して新築されたものである。
| 年代 |
歴代城主 |
|
1575年(天正3年)頃
〜1582年(天正10年) |
羽柴秀吉 |
近江国小谷城主浅井氏を滅亡させた、織田信長は家臣、羽柴秀吉をこの地を与えた。秀吉は山頂部にあった小谷城を居城とせず、交通の便がよい琵琶湖岸の今浜の地を選び、この地に長浜城を築く。 |
| 1582年(天正10年) |
柴田勝豊 |
清洲会議により、長浜城柴田勝家に譲るも、秀吉は自分に反抗的な態度をとる勝家に牽制の意味で甥の柴田勝豊が城主を務める長浜城を攻めて、攻め取っている。 |
1585年(天正13年)
〜1591年(天正19年) |
山内一豊 |
6年間城主を務める。一豊の移封後は佐和山城主石田三成の支配化に置かれるも、この頃より荒廃が進む。 |
1606年(慶長11年)
〜1612年(慶長17年) |
内藤信成 |
徳川家康の異母弟内藤信成が入り、大修築を行う。 |
1612年(慶長17年)
〜1615年(元和元年) |
内藤信正 |
内藤信成の子、信正が城主となるが、摂津国高槻城への移封により、廃城となる。 |
9.ご案内
| 見所 |
縄張図などが残されていないため、現在に再建された天守閣は当時築城された城の背景を考慮して想像の元で建てられた再現天守閣。しかし、琵琶湖に面した場所には太閤井戸と呼ばれる井戸跡が残るほか、発掘調査では石垣などが発見されている。 |
| 入城料 |
区分 |
個人 |
団体(20名以上) |
| 大人(高校生以上) |
400円 |
320円 |
| 小人(中学生以下) |
100円 |
80円 |
| 開城時間 |
午前9時〜午後5時(受付時間は午後4時30分まで) |
| 休城日 |
12月27日〜1月2日(展示替えのために、臨時休業もある) |
| アクセス |
鉄道 |
JRびわこ線 長浜駅より徒歩5分 |
| 車 |
北陸自動車道ICより車で15分 |
| 地図 |
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10.感想
長浜城へは今回初めての登城となる。彦根城へは2回来ているので、近くまではきていたんだが、近くに国宝の立派な城が建っているとついついそっちに行ってしまいがちである。
さて、長浜城だが、近くに無料の駐車場があったので、そこに車を止めて、噴水のある広場を抜けて天守閣に着いた。1階は受付と長浜城に関する本が販売してあった。2階は古代の長浜と長浜での宗教文化の説明、秀吉と長浜の関係を長浜城築城時のジオラマを用いて説明してあった。3階は長浜での鉄砲鍛冶の活躍、祭等の近代文化の説明、4階を通過して5階は展示室になっている。回廊付きなので琵琶湖からの風を体いっぱいに受け止めることができる。
また、現在復元されて建っている長浜城は2階の長浜城築城のジオラマの説明によると、当時の記録、縄張り図等が残っていないらしく、 その当時に建てられていた城の様式から考えられて想像されて建てられた天守閣らしいです。
城から琵琶湖の方へ足を向けると、琵琶湖の浜辺に太閤井戸跡というものを見つけることができる。そんなところに井戸跡があるとは考えにくいので、実は琵琶湖は少しずつ大きくなっているのでは?と思いました。
平成14年3月24日(日曜日)