佐和山城
7.簡単な沿革
年代 歴代城主
1589年(天正17年)
〜1590年(天正18年)
徳川家康  1586年(天正14年)に浜松城より移り、1589年(天正17年)に天守や二の丸が完成。
1590年(天正18年)
〜1601年(慶長6年)
中村一氏  1590年(天正18年)徳川家康の関東転封により、豊臣家臣の中村一氏が入城。
1601年(慶長6年)
〜1607年(慶長12年)
内藤信成  関ヶ原の戦い後、徳川家譜代の家臣内藤信成が入城。
1607年(慶長12年)
〜1616年(元和2年)
徳川家康  1607年(慶長12年)徳川家康が隠居城として、天下普請により大改修。
1616年(元和2年)
〜1625年(寛永2年)
徳川頼宣  家康の死去により、同居していた頼宣が城主となる。
 1625年(寛永2年)に家康の孫忠長が入城するが、1632年に改易。以後、幕府領として城代をおき、幕末に至る。平成元年に巽櫓を復元し、平成8年二の丸東御門が復元された。
8.歴代城主
9.ご案内
駿府城
平成19年10月25日 木曜日 晴れ

 今回は仕事の帰りに寄った。以前来た時は葵徳川三代の葵博を開催していたので、今回中を見てみて、改めて駿府城を知ることができた。東御門から入って、東御門内を早速見ようと思い、入城券を購入した。100名城のスタンプのありかを聞いたら、そこにあるということだったので、早速100名城のスタンプを押して中に入った。東御門の虎口を建物内から見るとかなり広く堅固な構えであることが良くわかる。東御門内は木造による展示場になっていた。駿府城には天守がなかったと思っていたが、立派な天守が築かれていたということを知った。その天守の模型があったので、それなりに楽しめた。東御門から巽櫓に続いてそのまま中を見ることができる。巽櫓内には徳川家康の人質時代の手習い部屋を復元したものがある。以前来たときは、あまり中を見ることができなかったが、改めて見ると、何も残っていないただの公園だった。自分が行ったとき、ちょうど大道芸の大会の準備がしてあり、たくさんの白いテントがあった。そういう意味ではかなり広い城だったということを知ることができる。あとは家康手植えのミカン、徳川家康公の銅像、北門、西門、南門の跡をみて城跡を後にした。公園を囲むように堀があるため、公園周囲は外から見ると石垣があって、なかなか見応えがある。最後に東御門にはいって出てくると券売り場のおばさんに城(歴史)が好きな方みたいなので、ということで特別に「家康公の史話と伝説とエピソード」を訪ねて」という冊子を頂いた。この場を借りてお礼を申し上げます。

平城

静岡県静岡市駿府公園1-1

静岡城   府内城   府内の館

3.城の種別
2.所在地
1.別名

 1589年(天正17)徳川家康が駿河国府中の今川氏館跡に完成させた平城。
 家康はその翌年、江戸に転封となるが、幕府を開いたとき、将軍職を徳川秀忠に譲ると、1607年(慶長12年)に天下普請で城を大改修、江戸城から隠居して、死去まで10年駿府城で「大御所政治」を敷いた。
 家康没後は徳川頼宣、徳川忠長が居城したが、その後は幕府領となり、城代がおかれた。
 中堀、外堀とその石垣が現存し、近年、巽櫓と二の丸東御門が復元された。

10.感想

堀、石垣、

徳川家康

1585年(天正13年)

6.遺構
5.築城年
4.築城者
見所  本丸堀と二の丸堀を結ぶ水路は底にも石を敷き詰め、しかも何度も屈折している珍しい構造となっている。また、明治時代に埋め立てられた本丸堀の一部が発掘調査で明らかにされ、ため池のような形で残されている。復元したものだが、巽櫓、二の丸東御門も木造による再建なので、一見の価値はある。
入城料 区分 個人 30人以上の団体
大人 200円 160円
小人(中学生以下) 50円 60円
開城時間 午前9時〜午後4時30分
休城日 月曜日(祝日、休日にあたる場合はその翌日)、12月29日〜31日、1月3日
アクセス 鉄道 JR静岡駅から徒歩15分、静鉄新静岡駅から徒歩10分
東名高速静岡ICより車で約20分
地図
公式サイト
城内から見た巽櫓