駐春橋より撮影
 
2024年9月16日撮影
矢印の先に進むと見える高岡大仏

2024年9月16日撮影
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小竹藪(おたけやぶ)
小竹藪は馬出しであったとされています。
は撮影ポイント
小竹藪全景 

2005年5月1日撮影
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一の橋。奥が中の島
 
2005年5月1日撮影
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中の島
1903年(明治36年)~1908年(明治41年)に7代小川治兵衛の弟子・広瀬万次郎による公園の改良。1907年(明治40年)に中の島完成
は撮影ポイント
二の橋。奥が中の島。
 
2005年5月1日撮影
中の島から本丸広場方面を望む

2005年5月1日撮影

中の島から緑翠亭。
2005年5月1日撮影
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朝陽橋
三の丸から本丸に侵入する際に渡らなくてはいけない橋だが、築城時は貫土橋といい全国的には珍しい車輪の付いた橋となっていた。
有事の際は橋を本丸側に引き込み敵の侵入を防いだと考えられる。
は撮影ポイント
朝陽橋。奥が本丸。
 
2005年5月1日撮影
朝陽橋から中の島方面を望む

2024年9月16日撮影
朝陽橋から明丸方面を望む

2024年9月16日撮影
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三の丸から鍛冶丸
 
2024年9月16日撮影
奥に見えるのが朝陽橋

2024年9月16日撮影
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本丸
本丸には利長が住んでいたとされる御殿があったと言われており、政務をこなす表御殿、城主が日常生活を過ごす奥御殿があったとされます。
本丸広場の一角にある14個の石は2004.年(平成16年)に城から南東約2.5kmにある和田川の河床の石を引き上げ搬入した石(博物館前に4個あり)。元々は高岡城の石垣で1875年(明治8年)に和田川の護岸工事に使用。矢穴や表面のノミの痕跡で石垣と判断できる。
は撮影ポイント
本丸広場
 
2005年5月1日撮影
本丸広場にある石垣ベンチ

2005年5月1日撮影
前田利長公銅像

2024年9月16日撮影
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本丸土橋の石垣
 
2024年9月16日撮影
高山右近像

2024年9月16日撮影
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鍛冶丸
大手口から攻めたときの第一関門となる鍛冶丸は桝形の構造となっており、通路も折り曲げて見通しを悪くし、攻め手の勢いをそぎ、横矢が掛けられるようになっていたと言われております。
は撮影ポイント
西内濠。奥に見えるのが本丸
 
2024年9月16日撮影
西内濠。奥に見えるのが三の丸

2024年9月16日撮影
鍛冶丸にある高岡市立博物館

2024年9月16日撮影
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二の丸
二の丸は本丸へ敵勢を侵入させないための要の曲輪で広大な敷地に鈴木権之助の屋敷があったとされる。利長の文書には隅櫓を2つ設けるように指示があり、土塁の角には櫓があり、高い場所から鉄砲で迎撃する態勢になっていたとされる。また、鈴木権之助は利長と正室の永姫(玉泉院)からの信頼が厚く、二の丸を任せられたと考えられている。
は撮影ポイント
本丸土橋から。
 
2024年9月16日撮影
本丸土橋から

2024年9月16日撮影
駐春橋より撮影

2024年9月16日撮影
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①小竹藪 
➁中の島
➂朝陽橋 
④本丸
⑤鍛冶丸
⑥二の丸
遺構という遺構はあまりないですが、城跡という雰囲気は満点でした。
高岡城のある風景