お城データ
所在地 富山県高岡市古城    
高岡古城公園内にある石碑
 
別名 なし
 
城の種別 平城
 
天守閣の構造 なし
 
主な城主 前田利長
   
簡単な歴史  1609年(慶長14年)、前田利長が焼失した富山城から移り住むために築城。当時の前田氏は利長の弟利常が3代を襲封しており、利長の隠居城としてであった。工事は当時客将であった高山右近が指揮したと伝わるが、近年の研究では前田利長による高岡城の築城や城下町について30通以上の書状が残されていることから利長が築城に関して深く関わったのではないかと言われている。
 城内の殿舎は、利長の父前田利家が豊臣秀吉から賜った伏見城、秀次館の良材が用いられたと言われる。築城は藩をあげての突貫工事でわずか5ヶ月ほどで入城可能な状態までに仕上がった。もともと関野と呼ばれていたが「鳳凰来鳴く高岡」の古詩(詩経)にちなんで、高岡城に改名したと伝わる。1615年(元和元年)、一国一城令によって、未完成のまま建物群は破却されたが、堀や土塁はそのままの状態で残された。
 
城に関する逸話・伝説 わずか半年で築かれるも短命な城
 1609年(慶長14年)、前田利長が富山城から高岡城に移るにあたり、砦も堀も何もないところからわずか半年足らずで入城できるまでに完成した城。その急ピッチさは本丸の石垣が崩れるということが起こった程だと伝えられています。何故、そこまでして急がないといけなかったのは、5年後に勃発した大坂冬の陣から見て取れるように豊臣家と徳川家がそれだけ緊張状態にあったということ判ります。
 実際には4月6日付けで家康から城建設許可をもらい、4月12日には建設資材を集める木町づくりを指示。9月13日の入城までの総日数は139日。139日で完成させるには土木設計技師の計算では築城の土木、建築工事には約9400人が従事した計算になるとのこと。
 そんな背景で築かれた高岡城だが、1615年(慶長20年)に一国一城令が発令されると、高岡城は廃城となります。
 表向きは廃城となったが、米蔵を置く、水堀はそのまま残すなど軍事拠点としては残されていたため、城跡としての遺構が良好な状態で残ったと言える。
 
現在の状況  現在は高岡古城公園として、築城当時から残る7つの曲輪、水堀跡が残っている。築城当時の姿をほぼ現在に伝えているのは全国的にも珍しく富山県唯一の百名城に選出されている。
   
一言メモ 城郭は築城当時の姿をほぼぞのまま残しているという事だけあり、規模としてはかなり大きい。平城といえでも歩ける服装で攻城に望んだほう良い。攻城日記にも記載をしているが、高岡市立博物館はぜひとも立ち寄って頂きたい。入館料をとっても良いぐらい資料が充実している資料館が無料で見学できる。
 
 背景の家紋 前田利長の家紋を背景としております。
剣梅鉢(加賀梅鉢)
未完の隠居城

高岡城の歴史・遺構を詳しく紹介しています。

入城時間、料金、周辺図などを掲載しています。

トノが現地で撮影した城郭を掲載しています。

高岡城の城攻め日記です。 

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高岡城
 〜見どころ〜
   
 2024年9月16日撮影
城内で唯一の石垣
2024年9月16日撮影
水堀、奥は鍛冶丸
   
2024年9月16日撮影
高岡城築城に関与した高山右近像
2024年9月16日撮影
初代城主の前田利長像
   
2024年9月16日撮影
番外編として日本三大大仏の高岡大仏
 2024年9月16日撮影
高岡大仏遠景