| 高取城の歴史 |
| 歴代城主 |
在任期間 |
主な出来事 |
| 1332年(元弘2年)越智邦澄により築城。以降越智氏による支配が続く。 |
| 筒井順慶 |
1580年(天正8年) |
1580年(天正8年) |
筒井順慶が郡山城の詰城として高取城を修築する。
織田信長の破城令により、一旦廃城となる。 |
| 筒井順慶 |
1584年(天正12年) |
1584年(天正12年) |
織田信長死後、支城として修築 |
| 筒井定次 |
1584(天正12年)
~1585年(天正13年) |
1584年(天正12年) |
8月11日に順慶、病死。定次が後を継ぐ |
| 脇坂安治 |
1585年(天正13年) |
1585年(天正13年) |
筒井定次が伊賀国上野へ転封となり、豊臣秀長が大和国を治める。高取城へは秀長の家臣脇坂安治が入る |
| 本多利久 |
1585年(天正13年)
~1603年(慶長8年) |
1585年(天正13年) |
脇坂安治が淡路国へ転封となり、秀長の家臣本多利久が城主として入る |
| 1589年(天正17年) |
豊臣秀長の命により大規模改修が行なわれ、城内に大小の天守に27の櫓、33の門が築かれる。 |
| 1600年(慶長5年) |
利久・俊政親子は徳川家康の上杉討伐に従軍していたため、留守を従兄弟の本多正広が預かる。西軍の石田三成に攻められるも高取城にて撃退。 |
| 本多俊政 |
1603年(慶長8年)
~1610年(慶長15年) |
1603年(慶長8年) |
利久が死去し、家督を継ぐ |
俊政の子、正武には跡継ぎがいなかったため、正武の死後は旗本の植村氏が藩主を務める。
幕末には藩主御殿が麓に移され、天誅組の変で攻撃を受けるもその他の城郭は無事。
1873年(明治6年)、高取城は廃城となり、その建物の大半は寺院などに売却され、旧二の門は子嶋寺の山門となっている。 |
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