

| お城データ | ||||
| 所在地 | 奈良県高市郡高取町高取 | 山頂にある石碑と天守台の石垣 |
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| 別名 | 芙蓉(ふよう)城、鷹取城、高取山城 | |||
| 城の種別 | 山城 | |||
| 天主閣の構造 | 木造3層4重(地下1階地上3階)(取壊し) | |||
| 主な城主 | 越智邦澄 | |||
| 簡単な歴史 | 1332年(元弘2年)に南朝方の豪族、越智邦澄が貝吹山城の支城として簡単な堀と土塁を設けた山城を築いた野が始まり。1580年(天正8年)に織田信長の命により一旦廃城となるも、信長の死後、入った筒井順慶が郡山城の詰城として再建。1585年(天正13年)豊臣政権下で大和国を治めた豊臣秀長が家臣本多利久を城主として任命。このとき大小の天守、27の櫓、33の門を設けて近世城郭へ整備、拡張を行なった。以後、本多家の後に入った、植村家政を初めとした植村家が明治政府による廃藩置県を迎えるまで城主を務めた。 | |||
| 城に関する逸話・伝説 | 詠にも詠まれた美しい城 | |||
| かつて高取城には大小の天守、27の櫓が建てられたが、その姿は城下町はからは芙蓉の花のように美しく「芙蓉(ふよう城」と呼ばれた。その美しさは「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ 土佐の城」(ここでいう土佐は高取の旧名。)と詠に詠われた。今日ではその姿を想像するしかないが、おそらく白い連立した城郭だったのではないかと考えられている。 | ||||
| 現在の状況 | 建物は明治政府による廃藩置県で取り壊されて残っていないが、各所に石垣が残る。 | |||
| 一言メモ | 城攻めというよりも山登りという表現に近いと言っても過言ではない、山城である。城攻めの際には山登りに行く恰好(長袖、長ズボン、ハイキングシューズ)で行くことをおススメします。各所に残る石垣は豊臣時代に築かれたというだけあり、しっかりとした石垣で見応えがある。 | |||
| 背景の家紋 | 筒井順慶の家紋を背景としております。 | 軸梅鉢紋 |
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