富山城の遺構   
 
千歳御門
   
富山城の歴史
歴代城主 在任期間  主な出来事
神保長職 1543年 (天文12年)
~1560年(永禄3年)
1543年(天文12年) 神保長職が神通川を越えたこの地に富山城を築く。これ以降椎名氏との大規模な争いが始まる(天文の大乱)
1560年(永禄3年) 椎名氏は越後上杉氏の代官となっていたため、椎名氏の要請を受けた上杉謙信が富山城を攻撃。
神保長職は富山城に火をかけて逃亡。
以後、越中国一帯を上杉氏が支配する。
椎名康胤 1569(永禄12年)
~1578年(天正6年)
1569年(永禄12年) 椎名康胤・越中一向一揆連合軍が上杉氏主力が撤退した富山城を攻略
以後、上杉氏との攻防が続く
 神保長住  1578年(天正6年) 
~1582年(天正10年) 
1578年(天正6年) 上杉謙信の急死により神保長住は織田信長の協力を得て、富山城を攻略 
1582年(天正10年) 3月:上杉氏に寝返った家臣らに幽閉され、佐々成政が城主となる。
佐々成政 1582年(天正10年)
~1585年(天正13年)  
1582年(天正10年)  佐々成政は大規模な改修を行なう
6月:本能寺の変により織田信長横死。以後、佐々成政は羽柴秀吉と敵対する。
1585年(天正13年) 8月19日:羽柴秀吉による軍勢に包囲される。
8月26日:圧倒的戦力差により佐々成政は織田信雄を通じて降伏。以後成政は秀吉の御伽衆として仕える。
閏8月5日:秀吉は富山城を破却。
前田利長  1605年(慶長10年)
~1609年(慶長14年) 
1605年(慶長10年)  6月:前田利長は隠居し富山城に移り、富山城と城下町の整備を開始
1609年(慶長14年) 3月18日:火災により富山城が焼失。 利長は魚津城に移り、後に高岡城に入る。
1615年(元和元年)  閏6月:一国一城令により富山城は廃城
前田利次    1640年(寛永17年)
~1674年(延宝2年)   
1640年(寛永17年)  10月:前田利次は前年に百塚の地に新城を築くことを幕府から許可を得て、新城ができるまでということで富山城に仮に入城する。 
1660年(万治3年) 前田利次は財政難などの理由により百塚への新城を断念し、富山城を居城として定める。
1661年(寛文元年) 5月:幕府より富山城修理の許可を得て、富山城、城下の整備を開始する。
1674年(延宝2年) 7月7日:前田利次、江戸城において発病し死去。 享年58歳。後継者は次男の前田正甫が2代目富山前田家となる。以後、明治維新を迎えるまで富山前田氏が13代まで続く。
1871年(明治4年)廃藩置県により廃城となり、建造物は移築、取壊し、堀は埋め立てられていった。
1882年(明治15年)富山城址に富山公園として整備される。
1885年(明治18年)公園が廃止され、富山県庁が設置される。
1940年(昭和15年)10月19日富山城址は富山公園として再び開園される。
1954年(昭和29年)4月3日城址公園内に模擬天守が完成する。
2005年(平成17年)11月3日耐震工事を経て、展示内容も見直しリニューアルオープン
2007年(平成19年)移築された千歳御門が再び富山城址に移築される。
2008年(平成20年)千歳御門の横に富山市が石垣を整備
2014年(平成26年)富山城址公園の再整備工事が完了。