歴代の城主を初め富山城の歴史・遺構を詳しく紹介しています。

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富山城の城攻め日記です。 
 
富山城の公式サイトです。
     
    
お城データ
所在地 富山県富山市本丸1-62    
模擬天守と石垣と水堀
 
別名 浮城
 
城の種別 平城
 
天守の構造 不明
現在は歴史とは関係のない模擬天守が建てられている
模擬天守の構造:RC造,複合連結式望楼型3重4階(大天守)2重2階(小天守)
 
主な城主 佐々成政
   
簡単な歴史 富山城は北陸街道と飛騨街道が交わる越中の要衝であったことから、古くから争奪の地であった。
富山城が歴史上登場するのは1543年(天文12年)の頃、神保長職(じんぼう ながもと)が家臣に命じて築城したことが始まりとされる。その後上杉謙信の介入により神保氏、椎名氏、上杉氏の争奪が続く。
1578年(天正6年)上杉謙信の急死により、織田信長の勢力も加わり、佐々成政が富山城主となる。1582年(天正10年)本能寺の変により織田信長が横死をすると、佐々成政は富山城を拠点として羽柴秀吉と敵対する。羽柴秀吉は佐々成政を破り、富山城を破却する。関ケ原の戦い後、前田利長は隠居城として富山城を再建するも、火災により焼失。その後、富山城には城代がおかれる。江戸時代に入り、幕府の許可を得た前田氏が再建。1871年(明治4年)廃藩置県により富山城は廃城となる。
 
城に関する逸話・伝説 浮城と呼ばれた由来
神通川(現在の松川)の流れを城の防御に取り入れ、周囲を水堀で囲んだことからまるで水に浮いたように見えたことから「浮城」の異名をとり難攻不落を誇った。
 
現在の状況 城跡は城址公園として整備されている。建造物としては明治時代に移築されるも移築先から寄附された千歳御殿の正門、千歳御門が富山城で唯一現存する建造物となる。
他には郷土博物館となっている模擬天守、整備された石垣、水堀がある。
   
一言メモ 模擬天守だが整備された石垣、水堀により外観はそれなりに見応えのある形となっている。石垣も桝形を再現しているので近世城郭の雰囲気を漂わせている。
 
 背景の家紋 佐々成政の家紋を背景としております。  
角立て七つ割り四つ目結紋
 ~見どころ~
   
 2024年9月17撮影
富山城唯一の現存建造物千歳御門
2024年9月16\7日撮影
郷土博物館になっている模擬天守
   
2024年9月17日撮影
公園側から見た模擬天守 
 2024年9月17日撮影
富山と言えば、薬というように製薬業興隆の祖、前田正甫公
 
富山城
浮城の異名をとった 難攻不落の城