歴代の城主を初め宇都宮城の歴史・遺構を詳しく紹介しています。

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トノが現地で撮影した城郭を掲載しています。

宇都宮城の城攻め日記です。 
     
    
お城データ
所在地 栃木県宇都宮市本丸町    
南面から見た富士見櫓
 
別名 亀ヶ岡城
 
城の種別 平城
 
天守の構造 なし(天守は建てられなかった)
 
主な城主 宇都宮氏、本多正純
   
簡単な歴史 平安時代後期に築かれたのが始まりと言われている。鎌倉時代以降は宇都宮氏の居城となり、以後、豊臣秀吉に領地を没収されるまで、宇都宮氏がこの地を治める。宇都宮氏の後は蒲生秀行が豊臣秀吉の命を受け、城と城下町の改修を行う。
関ヶ原の戦いにより徳川の世になると宇都宮城には本多正純が城主となり、城と城下町の大改修を行う。この大改修により今の宇都宮城、宇都宮市の中心部の原型が造られる。
戊辰戦争により城内の建築物はほとんど焼失し、堀も徐々に埋め立てられて当時を偲ぶ史跡はほとんど消失してしまった。
 
城に関する逸話・伝説 宇都宮釣天井事件
三代将軍徳川家光が日光東照宮を参詣した帰りに宇都宮城に一泊することになり、これを知った本多正純が暗殺を企て釣天井のからくりを計画した。という話だが、これは事実ではなく、創作話である。この創作話が作られたきっかけが次の出来事によるもの。
1622年(元和8年)2代将軍秀忠が日光参詣のため江戸を出発し、往復ともに宇都宮城に宿泊する予定だったが、帰り道、急遽予定を変更し、宇都宮を避けて江戸に帰ってしまう。その後、山形藩主最上氏の改易にあたり、正純が幕府の命令で城受け取りに出向いた留守中に突然宇都宮城を取り上げられ、出羽国由利郡5万石を幕府は与えようとするも正純はこれを固辞したため、幕府の怒りをかい、横手に幽閉されて73歳の生涯を終えることになる。
正純が突然宇都宮を取り上げられた理由としては、はっきりわかってはいないが、幕府内の権力抗争によるものではないかと言われている。このことを予見していたのか、正純の父正信は決して多くの所領を求めず、息子の正純にも訓戒として言い渡していた。
 
現在の状況 宇都宮城址公園として整備されて、櫓2基、土塀、土塁、堀の一部が復元されている。当時の宇都宮城の規模からすると全体の1/4程度の復元なので、城の規模としてはかなり大きかったことが伺い知れる。
   
一言メモ 城址公園として整備されているので、当時の遺構はほとんどない。ただ、復元された櫓2基は木造による復元で中をみることもできるので、復元された部分を見るには見ごたえはある。また、櫓2基をつなぐ土塀、土塀の下にある堀と土塀をつなぐ土塁は関東の城の特徴を感じることができるので、外からと内からとで是非見ていただきたい。
 
 背景の家紋 宇都宮氏(三つ巴紋)、本多氏(本多立ち葵紋)の家紋を背景としております。  
三つ巴紋 本多立ち葵紋
 ~見どころ~
   
 2025年7月29撮影
南面から見た富士見櫓
2025年7月29撮影
清明台と土塀
   
 2025年7月29撮影
木造で復元された富士見櫓内部 
  2025年7月29撮影
木造で復元された清明台内部
 
宇都宮城
将軍日光参詣の際の宿城