黒田官兵衛
1.名前と官位  
黒田 万吉
(くろだ まんきち)
(幼名) 
        ↓

黒田 官兵衛 孝高
(くろだ かんべえ よしたか)
       ↓
1586年(天正14年)に受ける
黒田 勘解由次官 孝高
(くろだ かげゆじかん よしたか)

従五位下(じゅごいのげ)
       ↓
黒田 如水
(くろだ じょすい)
       ↓
晩年、キリシタンとなり「ドン・シメオン(洗礼名)」を
授かる
 
  
2.親族 
  祖先
  幸園
(こうえん)[雅号](妻)
政職の姪。志方(加古川市志方町)
城主 櫛橋甲斐守伊貞の娘
 
   兄弟  直之
(弟)
(関ヶ原戦後、夜須郡秋月城主)
官兵衛とは20歳近く離れた腹違いの末弟。
幼名を総吉丸(そうきちまる)
 利則
(としひろ:弟)
(関ヶ原戦後、宗像郡津屋崎城主)
 他、弟一人、妹三人
  息子 長政
(長男)
熊之助
(次男)
密かに若侍を連れて、朝鮮出兵に馳せ参じようと試みたが、荒波に呑まれて溺死。享年16歳。
 
    
3.概要    
   1546年(天文15年)播州東部に勢力を張っていた小寺氏に仕える父、職隆(もとたか)の子としてこの世に生誕する。
 その後、若くして主である播州御着(ごちゃく)城主小寺政職(まさもと)から小寺姓を名乗ることを許されるまで出世する。その後、織田信長の中国征伐軍として派遣された羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)に見出され、その後秀吉の配下として、活躍する。
 しかし、後年、官兵衛の才知に脅威を覚えた秀吉は官兵衛を豊前12万石に押し込めた。
    
4.エピソード   
  病人のわがまま?   
  死期が近づいた官兵衛は、家臣達を呼びつけては嫌みばかりをいうので、それを官兵衛の息子長政が、諌めると官兵衛は長政に
こうしておけば、早くお前の代になって欲しいと家臣達は思うだろう。
といったと言う。自分の死まで後々のことに役立てようとするところはさすが、官兵衛と言わざるえない。
 しかし、後年、正岡 子規(おさおか しき)はこれを”単なる病人とわがままをいいわけしたもの”と解釈している。例え、これが、正岡子規のいう通り、病人のわがままだとしても天下に鳴り響いた官兵衛なのだから、そう思わせない、思いたくないと思わせるのは官兵衛である所以なのではないかと思うのは私だけだろうか?
    
5.殿批評    
  戦略  ★★★★★  秀吉の片腕として、天下統一に貢献した才知は秀吉が認め、さらには警戒をしていた程である。
  武勇  有岡城主荒木村重が織田信長に謀反を起こしたとき、村重を説得にしに単身有岡城に乗り込むも、村重に面会を許されず、約1年間の幽閉生活にあい、そのときの後遺症として半身が不自由になってしまう。そのため、武勇どころではなくなってしまった。
  政略 ★★★★  普段から倹約家として知られていた。関ヶ原の合戦の折には短期間で九州の半分近くを制圧していることから、普段からの倹約は来るべき時のための倹約で、領内の経営をしっかりしていたからこそ、できたことであるので、それなりの政略はあったのだろう。
  人望 ★★★  秀吉の片腕として、天下統一に貢献したその実力に秀吉子飼いの武将は、一目置いていたであろうから、それなりの人望はあったと思うが、石田三成のように吏僚派の人間からは天下の騒乱の種として、疎ましく思われていただろう。
  総評 ★★★★★
★★
 天下を手にする才知はあっても、それが叶わなかったのは、官兵衛には天下をいつでも取れるぞという気概だけで、天下を取ってからのビジョンがなかったのだろう。官兵衛のような人物は、優秀なナンバー2であり、また優秀なナンバー2が必ずしも優秀なトップにはなれないと、言ういい例だろう。
  ★★★★★:人並み外れて優秀 ★★★★:人並み以上 ★★★:人並み ★★:人並みより劣る :人並み外れて不得手
※総評のみ10段階評価
 
    
 6.殿語る...    
   黒田官兵衛と言えば、竹中半兵衛と並び秀吉幕下でその才を両兵衛と言われ、秀吉の天下統一を助けた参謀として有名である。しかし、半兵衛と違い、自らの手で天下を治めたいという野望がいつも心奥底に秘めていたとも言われている。それが、関ヶ原の合戦の折の九州地方での動きに出ている。その心奥底に秘めていた野望は、秀吉が早々に見抜いていたため、天下統一事業に大きく貢献したにも関わらず、秀吉からは九州という京から遠い地に飛ばされている。確かに秀吉が警戒したように官兵衛には天下を手中に治められることができる才気は十分にあっただろう。それは関ヶ原の合戦の折の九州地方でのわずかな時間の間での快進撃が物語っている。しかし、官兵衛には天下を手中に治めたとき、それからどうするか、自分の野望を果たすためでなく、なんのために天下統一を目的するという明確なビジョンが感じられない。それは先の関ヶ原の話でもそうだが、自らが敵国に攻め込んでいるところから、合戦を好んでる節が感じられるためである。そう考えると、官兵衛はやはり優秀な参謀止まりなのだろう。
    
         
    
天下一を狙う参謀