

| 1.名前と官位 | |||||
| 藤堂 与吉 (とうどう よきち) (幼名) ↓ 藤堂 与右衛門 (とうどう ようえもん) ↓ 藤堂 高虎 (とうどう たかとら) 法名:寒松院前伊州羽林賢高山権大僧都 (「毅然として寒風に立ち向かう松の木」になぞらえて天海が贈った) |
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| 2.親族 | |||||
| 祖先 | 虎高 (とらたか:父) |
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| おとら (母) |
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| 妻 | お久 (正室) 一色修理太夫の娘 |
松寿夫人 (側室) 元但馬国佐須城主長越前守連久の次女 |
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| 兄弟 | 源七郎 (げんしちろう:兄) |
高清 (たかきよ:弟) |
正高 (まさたか:末弟) |
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| 出雲 (いづも:高虎の弟) 母は亡父白雲の後妻、高崎氏 |
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| 息子 | 高吉 (たかよし:養子。丹羽長秀の遺児) |
高次 (嫡子:松寿夫人との間の子) |
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| 糸姫 (いとひめ娘:蒲生忠郷の正室) |
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| 3.概要 | |||||
| 初め、浅井家に仕えており、姉川の合戦等で武功を挙げるも、主君長政に物足りなさを感じ、主君を替え続けた。しかし、自分の力を思う存分に発揮できる場所がなかなか見つからず、そんな中、豊臣秀長に出会い、秀長に仕えてようやく、日の目を見ることができる。 しかし、自分の人生を変えてくれた男、秀長死後は徳川家康という人物に目をつけながらも、豊臣秀吉に仕えることになる。秀吉死後は家康派をより一層家康と親密になる。 また、高虎は築城技術に定評があり、中でも縄張りには群を抜いていたので、家康から江戸城の縄張りなど命ぜられるぐらいに、家康の信頼を勝ち取り、晩年は外様大名ながらも、幕府から一目置かれる存在になった。享年75歳。 |
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| 4.エピソード | |||||
| 恵まれた体の持ち主だった?! | |||||
| 高虎が15歳の頃、身長6尺2寸(188センチ)体重30貫(113キロ)と伝えられる程、大柄な人だったらしい。しかし、現代よりも食物が豊富であるとは考えられないので、このような体躯になることは考えにくい。少々オーバーには伝わっているにしても、かなりの体躯であったのであろう。 | |||||
| 5.殿批評 | |||||
| 戦略 | ★★★ | 朝鮮の役では海軍を率いて、朝鮮軍を撃破しているが、大坂夏の陣では、多くの優秀な家臣を死なせていたりと、戦略を練るのは必ずしも得意という訳ではなさそう。 | |||
| 武勇 | ★★★★ | 高虎が死去したとき、その遺体は全身傷だらけで傷のないところを探すのが、難しいと言われる程、傷を負っていた。それだけ傷を負っていることはかなりの修羅場を潜り抜けてきた剛の者と見てもよい。 | |||
| 政略 | ★★★ | 肉親と言えども、公平に扱っていたり、農民を大事にしている点を見てみると、それなりの政治は行っていたようである。 | |||
| 人望 | ★★★★ | 家臣を非常に大事にしていたり、昔受けた恩を高禄の身になって恩返しをしているところなどを見ると、周りからは好かれていたはずである。 | |||
| 総評 | ★★★★★★ | ここでは少し厳しい評価になっているが、高虎は築城術、先を見る目と言うもの長けていた。戦国の乱世を高虎は先を見る目で相手を見定め、その相手が自分に主君として仕えるのに足る人物と見たら、自分の長所を売り込んでいって、乗り越えたのだろう。 | |||
| ★★★★★:人並み外れて優秀 ★★★★:人並み以上 ★★★:人並み ★★:人並みより劣る ★:人並み外れて不得手 ※総評のみ10段階評価 |
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| 6.殿語る... | |||||
| 高虎と言えば、主君を渡り歩いた風見鶏のような男だと思われがちだが、高虎は案外苦労人のようだ。主君を渡り歩いたというのも、戦国の世ではごく自然のことで、二君には仕えないという思想は、江戸時代に形成されたようだ。だから、主君を渡り歩いたというのは、それだけ使える主君に恵まれなかったということになる。しかし、このときの主君を渡り歩いた経験が、時代を読む目というのを養っていったのだと思う。なぜなら、主君を渡り歩いても、滅亡しそうな主君に仕えても、損をするのは自分だからだ。この時代を読む目で豊臣秀吉の天下の次は徳川家康だと判断し、外様大名ながらも幕府の信頼を勝ち取ることだできたのだろう。 また、高虎は築城家でも知られる。中でも縄張りには定評があったという。家康が天下の中枢機関、江戸城の縄張りを任せていることからも、高虎への信頼と、高虎の縄張りを信用していたことがわかる。そんな高虎が手がけた城は江戸城、名古屋城、津城、伊賀上野城、膳所城、丹波篠山城、大坂城、今治城、宇和島城、高槻城、大洲城など、15、あるいは23とも言われている。 高虎が手がけたという名城の数々、赴いたときは高虎が縄張りをしたということを思い出して見ると、また、おもしろかもしれないですな。 |
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