荒子城
加賀百万石の発祥の地
    
現在の荒子城址は冨士大権現天満天神宮となっている。
    
1.所在地 愛知県名古屋市中川区荒子4丁目   
2.城の種別 平城
3.築城者 前田利昌
4.築城年 1532年1555年(天文年間)   
5.簡単な沿革    
   1544年(天文13年)に前田利昌がこの地に城を築き、前田城より移り住んだと伝えられる。その子利久、同じく利家利家の子利長が相継いで居城した。1575年(天正3年)利家越前国府中に移り、1581年(天正9年)には利長も同地に移り廃城となったとされている。
6.歴代城主    
      年代 歴代城主  
1544年(天文13年)
1560年(永禄3年)
前田利昌  1544年(天文13年)に前田利昌がこの地に城を築いたのが荒子城の始まりと伝わる。
 1559年(永禄2年)利長が同朋衆を切ってしまったため、織田家を追放される。
1560年(永禄3年)
〜1569年(永禄12年)
前田利久  1560年(永禄3年)桶狭間の戦いの後、前田利昌が死去すると、嫡男の利久が跡を継ぐ。
 1561年(永禄4年)利家が桶狭間の戦い、森部の戦いの軍功を賞されて、織田家への帰参が認められる。
1569年(永禄12年)
1575年(天正3年)
前田利家  1569年(永禄12年)当主利久が病弱であったため、織田信長より利家に家督を譲るように迫られ、利家が前田家の当主となり、城主となる。
1575年(天正3年)
1581年(天正9年)
前田利長  1575年(天正3年)利家越前国府中を与えられ、同地に移ると荒子城には嫡男利長が城主となる。
 1581年(天正9年)利長が父利家の下、越前国府中へ移ると、荒子城は廃城となる。
7.ご案内    
       見所  住宅地の真ん中にあるため、城跡の遺構としては残念ながら、残っていない。しかし、城内にあったとされる冨士大権現・天満天神宮が現在残っている。城の規模としては『尾陽雑記』『古城志』などによると、この城は東西約68m南北約50mあり、一重堀を巡らしていたとあるため、思いを馳せて見てみたい。
 あおなみ線荒子駅のロータリーに若かりし前田利家像があるので、是非とも見て頂きたい。
入城料 無料
開城時間 無料
休城日 無休
アクセス  鉄道 名古屋市営地下鉄東山線高畑駅、名古屋臨海高速鉄道あおなみ線荒子駅・南荒子駅
名古屋高速5号線烏森ランプ〜高畑駅方面
地図    
8.感想    
  平成22年10月11日 月曜日 晴れ
 加賀百万石の祖となった前田利家にゆかりのある荒子城へ行ってきました。詳しく調べず恐らく荒子観音のところにあるのだろうと思い、道路の案内板に従い行ってみると大きいお寺に到着した。しかし、そこは荒子城址ではないことが判明し、失敗したなぁ〜と思っていたら、城の南側の大きな門の近くに『前田利家公生誕の地はこちらと矢印が書いてあったので、それに従い歩いて行った。よく見ると道路にも『犬千代ルート』と書いてあった。恐らく大河ドラマのときに書いたものと思われるが、月日が経ってだいぶ傷んでいた。しかし、手掛かりとなるものはそれしかないので、順路に従い歩いて行くと車では確実に通行できないようなかなり細い道を歩かされた。その道を通り過ぎると、右手に公園が見えてきた。その手前に小さな社があり、そこが荒子城ということが分かった。中は天満天神宮というかなり傷んだ社があり、前田利家公生誕の地とかなり大きな石碑が建っていた。他には荒子城址という案内板、荒子城址ということを少しでもアピールしようとする幟ぐらいだった。こじんまりとした社ではあるが、木々が覆い茂っていて、そのせいか『蚊』が大量に発生していた。
 それはそうと、前田利家の若いころの銅像が近年建設されたという情報を得ていたが、どこに建設されたかがわからなくて、荒子城址、荒子観音で探してみたが、なくて家に帰って調べてみると、荒子駅のロータリーにあるとのこと。前田利家公の銅像の写真を撮りに荒子駅に行ってきたいと思います。