丸根砦跡における碑石

 1.別名  -  
 2.所在地

愛知県名古屋市緑区大高町丸根

 3.城の種別

山城  

 4.築城者

織田氏

 5.築城年 1559年(永禄2年)
 6.遺構

土塁

 7.簡単な沿革
   大高城が今川義元の手に落ちたあと、織田信長よって大高城を包囲するように築かれた砦の一つで、1559年(永禄2年)大高城の東側約800m、鳴海から延びる丘陵の先端に築かれた。
 当時の今川方の基地である豊明の沓掛城から大高城への支援路を見下ろす位置にあり、現況は東西36m、南北28mの砦の周囲に幅3.6mの外堀をめぐらしている。
 桶狭間の戦いのときには、佐久間盛重を将とした織田方が立てこもったが、大高城への兵糧入れを命ぜられた松平元康(後の徳川家康)が鉄砲を用いて攻撃し、激戦の後守備側は全滅したといわれる。
 大高城とともに1938年(昭和13年)国の指定史跡とされている。現在砦跡には、「丸根砦跡」碑石が立つ。(以上現地案内板より)
 現在は民家に囲まれた所に木々に覆われた丘陵となっているが、今もこの位置から大高城跡を確認するができる。
 
 8.歴代城主   
  年代 歴代城主  
1559年(永禄2年
1560年(永禄3年)
佐久間盛重  1559年(永禄2年)織田氏が大高城に対する防衛拠点として築く。
 1560年(永禄3年)桶狭間の戦いの前哨戦において、当時今川家方であった松平元康(のちの徳川家康)に攻めたてられて、落城する。
   
 9.ご案内   
       見所  民家に雑木林に囲まれた丘陵上に碑石が立つ。丘陵の周囲を歩くと大高城跡を確認することが今でもできる。戦略上いかに重要な拠点にあったかを確認できるので、ぜひとも確認して桶狭間の戦いに思いを馳せて欲しい
入城料  無料 
開城時間  常時開放 
休城日  常時開放 
 アクセス   鉄道 JR東海道本線『大高駅』より徒歩10分
 車 国道1号線〜県道50号線
 地図    
   
 10.感想   
   令和5年2月14日 火曜日 晴れ  
 

 『あいち家康戦国絵巻ラリー』のスタンプをゲットするために訪問をした。鷲津砦より住宅街を歩き丸根砦跡に着いた。鷲津砦跡に比べて比較的わかりやすい場所にある。鷲津砦に比べて視界も拓けているので、大高城の位置がよく判る。そのためここから見ると大高城とは目と鼻の先で鷲津砦と連携をして大高城に対する防衛拠点であったことがよくわかる。鷲津砦とともに丸根砦も攻め落とされているが、ここがいとも簡単に落ちたということは織田信長は桶狭間の戦いでは初めからこの砦を拠点に尾張の防衛線を張ろうとしていたのではなく、今川義元狙いだったのか、丸根砦、鷲津砦が簡単に落ちたので、義元に狙いを定める作戦に切り替えたかなど思いをはせるのであった。