| 武将名 | 武将名(ひらがな) | 概略 | 関連ページ | |
| 貞安 | ていあん | 浄土宗の宗。相模国出身。織田信長の知遇を得る。1579年(天正7年)安土浄厳院で日蓮宗の日bらと対論。1587年(天正15年)信長・信忠追善のため、京都二条烏丸に大雲院を建立。1615年(元和元年)京都山科で死去。 | ||
| 天海 | てんかい | 天台宗の僧。1589年(天正17年)徳川家康の帰依を受け、天台の教えを説いた。朝幕間を奔走するなど、政治的才能があり「黒衣の宰相」と呼ばれた。 | ||
| 天瑞院 | てんずういん | 豊臣秀吉の生母。秀吉の関白就任後、従一位に叙され、大政所と称される。1586年(天正14年)秀吉と徳川家康の講和に際し、人質として岡崎に下向。聚楽第で晩年を送り、1592年(文禄元年)7月22日死去。 | ||
| 伝通院 | でんづういん | 徳川家康の生母。三河国刈谷城主水野忠政の娘。母は華陽院。華陽院が松平清康に再嫁したときその養女となり、1541年(天文10年)清康の嫡男広忠と結婚。翌1542年(天文11年)徳川家康が誕生する。1544年(天文13年)兄の水野信元が松平氏と敵対するにおよんで離別、家康を残し刈谷へ戻る。のち尾張阿久比城主久松俊勝に再嫁。三男(康元・勝俊・定勝)4女をもうける。1602年(慶長7年)8月18日、伏見城内で死去。享年75歳。 | ||