| 武将名 | 武将名(ひらがな) | 概略 | 関連ページ | |
| 三浦 高教 | みうら たかのり | 三浦時高の実子。 | ||
| 三浦 時高 | みうら ときたか | 三浦義同の養父。 | ||
| 三浦 義同 | みうら よしあつ | 扇谷上杉高救の子。相模守護三浦時高の養子となったが、時高に実子が生まれたので時高と不和となった。1494年(明応3年)三浦時高・高救父子を攻め滅ぼし相模守護職と三浦家を手に入れた。1512年(永正9年)北条早雲の攻撃を受けて敗走。1516年(永正13年)敗死する。 | ||
| 水野 勝成 | みずの かつなり | 水野忠重の子。遠江高天神城攻めなど多くの合戦に従軍した。父の忠重との不和により、徳川家を離れ、豊臣秀吉、佐々成政、小西行長らに仕えたが、忠重の死により家康より召還されて帰参。その後島原の乱にも制圧軍として参陣した。 | ||
| 水野 忠重 | みずの ただしげ | 忠政の9男。信元の異母弟。兄信元に従い織田信長に仕え、1561年(永禄4年)から徳川家康に属し、緒戦に参加する。1580年(天正8年)信長より兄信元の旧領刈谷城を与えれた。小牧・長久手の戦いの後徳川氏の元を一時去り、豊臣秀吉に属す。秀吉死後家康に仕えるも、関ヶ原の戦いを前に石田三成の刺客に殺害される。享年60歳。 | ||
| 水野 忠政 | みずの ただまさ | 三河国緒川城・刈谷城主。娘於大は1541年(天文10年)岡崎城主松平広忠に嫁した。 | ||
| 水野 忠清 | みずの ただきよ |
水野忠重の3男で、水野勝成の弟。正室は前田利家の娘。父没後、家督は勝成が継ぎ、忠清は徳川秀忠の家臣として仕える。大坂の陣は、冬、夏の両方に参陣し、軍功を挙げる。しかし戦後、行賞をめぐって不服を申し立てたことから、謹慎を命じられた。徳川家康死去の寸前に謹慎を解かれ、三河国刈谷城に移封された。 |
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| 水野 信元 | みずの のぶもと | 三河国刈谷城主。水野忠政の次男。於大の方の異母兄。1543年(天文12年)父忠政の跡を継ぎ、今川氏に背き織田信長に属す。その後もしばしば今川勢と交戦するが、1560年(永禄3年)桶狭間の戦いの後、今川氏真との講和を信長に献言。その後も信長の緒戦に加わり、1572年(元亀3年)、三方ヶ原の戦いに際しては織田方からの援軍として家康を助ける。1575年(天正3年)武田氏内通の嫌疑をうけ、一時家康のいる岡崎へ逃れたが12月27日自刃。 | ||
| 溝尾 茂朝 | みぞお しげとも | 庄兵衛。五宿老の一人。岐阜県可児市広見の出身で、明智光秀が織田信長に仕える以前からの家臣。1582年(天正10年)5月、光秀に従って徳川家康の接待役を務めた。本能寺の変後、勝竜寺城を守備する。山崎の戦いでは、光秀と共に退却。山科小栗栖で光秀が刺されると、介錯し、首を薮の中に隠して、坂本へ退却し明智秀満と共に、坂本城で殉死。 | 明智家臣団 | |
| 溝尾 庄兵衛 | みぞお しょうべい | =溝尾茂朝。 | 明智家臣団 | |
| 溝口 勝路 | みぞぐち かつみち |
左馬助。上杉家家臣。最上の戦い上杉軍第一軍、長谷堂城攻めの撤退戦で戦死。 |
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三宅 藤兵衛 | みやけ とうべい | 綱朝か。三宅弥平次(明智秀満)の父と伝えられる。光秀が朝倉家臣の時代から従っている家臣。本能寺の変時は勝竜寺城の留守居を務める。 | 明智家臣団 |
| 三宅 弥平次 | みやけ やへいじ | =明智秀満。 | 明智家臣団 | |
| 宮部 継潤 | みやべ けいじゅん | はじめ比叡山の僧。その後浅井家に仕える。主家滅亡後は織田信長に属す。羽柴秀吉率いる中国征伐軍の先鋒を務め、因幡鳥取城主となった。晩年は秀吉の御咄衆となった。 | ||
| 三好 清海 | みよし せいかい | =三好政康。 | ||
| 三好 長慶 | みよし ちょうけい | 畿内で活躍し、三好政権の基盤を築いた。家臣の松永久秀が謀反の企てがあると知りつつも、跡取りに恵まれず、1564年(永禄7年)7月24日病没。享年43歳。 | ||
| 三好 長逸 | みよし ながゆき | 三好三人衆の一人。早くから三好長慶に従い、畿内で活躍する。長慶の病死で義継の後見人となり、三好一族の最長老として三好三人衆の筆頭となる。松永久秀と共謀して足利義輝を暗殺するが、その後久秀とは決裂する。織田信長の畿内侵攻に対して反抗するも、敗れ敗走する。その後は行方不明となる。 | ||
| 三好 秀次 | みよし ひでつぐ | =豊臣秀次。 | ||
| 三好 政康 | みよし まさやす | 三好三人衆の一人。三好長慶の病死に伴い、三人衆として義継を後見する。松永久秀と共謀して足利義輝を暗殺するも、その後久秀とは決裂する。織田信長の畿内侵攻に対して反抗するも、阿波国逃亡。のち、豊臣秀吉・秀頼に仕え1615年(元和元年)5月7日大坂夏の陣にて戦死。享年88歳。真田十勇士の一人三好清海のモデル。 | ||
| 三好 義継 | みよし よしつぐ | 三好長慶の病死に伴い、三好三人衆の後見を得て三好家の家督を継ぐ。松永久秀らと共謀して足利義輝を暗殺する。後に織田信長の畿内侵攻に対しては久秀と共に信長に降る。のちに信長の媒酌のもと足利義昭の妹と結婚する。しかし、その後信長に背き1573年(天正元年)信長に攻められ、家老の謀反にあい、敗死。 | ||
| 三好 吉房 | みよし よしふさ | 豊臣秀次・秀勝・秀保の実父。室は豊臣秀吉の姉のとも(瑞龍院)。1590年(天正18年)尾張国犬山城主10万石。のち清洲城に移る。1593年(文禄2年)1万2千2百石を加増された。1595年(文禄4年)秀次事件に連座して所領没収のうえ讃岐国に追放された。1600年(慶長5年)下野国足利で没した。没年は1612年(慶長17年)8月15日とも伝える。 | ||