| 元亀元年(1570年) | ||
| ★が更新箇所です。 | ||
| 1月23日 | 織田信長、将軍足利義昭に5ヶ条に渡る覚書を承認させ、天下の実権が信長にあることを示す。 | |
| 4月5日 | 上杉輝虎、北条氏康との間で同盟が結ばれる(越相同盟)。 | |
| 4月20日 | 織田信長、上洛を命じても上洛をしてこない朝倉家を逆賊とみなし、兵を率いて京都を発つ。 | |
| 4月23日 | 永禄13年から元亀元年に改められる。 | |
| ★ | 4月25日 | 織田信長、敦賀に攻め入り手筒山城を陥落させる。 上杉輝虎、北条氏康の7男、氏秀を養子にし、自分の昔の名「景虎」を授ける。 |
| 4月26日 | 織田信長、金ヶ崎城を陥落させる。 | |
| 4月29日 | 織田信長、越前国で対陣中に浅井長政の離反の知らせを受け、朽木谷経由で京都へ撤退する。 | |
| ★ | 4月30日 | 織田信長、朽木峠を越えて無事京へ戻る。 |
| ★ | 5月9日 | 織田信長、京から岐阜へ向かう。 |
| ★ | 5月19日 | 織田信長、杉谷善住坊に千草越えで狙撃される。 |
| ★ | 5月21日 | 織田信長、無事岐阜へ戻る。 |
| 6月19日 | 織田信長、浅井家討伐のため、兵3万5千を率いて岐阜城を発つ。 | |
| ★ | 6月21日 | 織田信長、小谷城を攻撃する。 |
| 6月28日 | 朝倉勢1万5千が浅井家救援軍として北近江に到着する。徳川家5千を援軍に迎えて織田・徳川連合軍と、朝倉・浅井連合軍が姉川を挟み激突する。(姉川の戦い)織田・徳川連合軍が勝利を収める。 織田家家臣、坂井尚恒討死。享年16歳。 |
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| 6月の 出来事 |
徳川家康、引馬城に入り、修築拡大をする。この付近にかつて「浜松荘」という荘園があったことから、名を浜松城と改める。 | |
| ★ | 7月21日 | 織田軍が浅井・朝倉攻めをしている隙を衝いて、三好三人衆が摂津河内国を攻撃する。 |
| ★ | 8月22日 | 上杉輝虎、徳川家康と同盟を結ぶ。 |
| ★ | 8月25日 | 摂津河内国に進撃してきた三好三人衆に対峙するために織田信長、岐阜を出陣する。 |
| 9月12日 | 本願寺顕如が諸国の門徒に仏敵織田信長を討てと諸国に命じる。(石山合戦の開始) | |
| 9月20日 | 浅井・朝倉連合軍、織田信長が大坂の石山城を攻めている隙に、森可成が守る宇佐山城を攻撃して、落としている。これにより、信長の弟織田信治(26歳)、森可成(48歳)は敗死。 | |
| 9月21日 | 浅井・朝倉連合軍、山科、醍醐の村落に焼き討ちを行う。 | |
| 9月23日 | 織田信長、浅井・朝倉連合軍に備え軍を率いて京都に入る。このとき、浅井・朝倉連合軍は比叡山に籠る。 | |
| 11月21日 | 伊勢北部で蜂起した長島一向一揆が尾張に侵入し、小木江城(現愛知県立田村)を攻略。織田信長の弟信興(のぶおき)が自刃して落城。 | |
| ★ | 12月14日 | 足利義昭、三井寺へ赴き、織田信長と朝倉家との和議を締結させる。 |
| ★ | 12月15日 | 上杉輝虎、入道して上杉謙信と改名する。 |
| 12月16日 | 正親町天皇、織田信長と浅井・朝倉連合軍との和睦を喜び、山門安堵の綸旨をだしてもらい、織田軍、浅井・朝倉連合軍双方兵を退く。 | |
| この年の 出来事 |
美濃国岩村城が武田家臣秋山信友から攻撃を受ける。 | |