| 武将名 | 武将名(ひらがな) | 概略 | 関連ページ | |
| 水原 親憲 | すいばら ちかのり | 上杉家家臣。御館の乱の際は上杉景勝を支持した。主家の会津移封後は猪苗代城代を務める。大坂の陣では軍功を立てた。 | ||
| 瑞龍院 | ずいりゅういん | 豊臣秀吉の実姉。三好吉房に嫁ぎ、秀次・秀勝・秀保を生む。1595年(文禄4年)秀吉の養子となっていた長子秀次が滅亡すると、翌年仏門に入る。1625年(寛永2年)4月24日死去。 | ||
| 崇源院 | すうげんいん | 浅井長政の3女。はじめ尾州大野城主佐治一成に嫁すが、1584年(天正12年)豊臣秀吉の命により離別させられ、のち秀吉の養子豊臣秀勝の夫人となる。1女を生むが、1592年(文禄元年)朝鮮で秀勝が戦死すると、1595年(文禄4年)秀吉の養女として徳川秀忠に再々嫁。秀忠の間には家光、千姫をはじめとする2男5女をもうける。1626年(寛永3年)9月15日江戸城西の丸で死去。享年54歳。 | ||
| 菅沼 貞景 | すがぬま さだかげ | 当初は今川氏に属していたが、桶狭間の戦いで今川義元が戦死した後は松平氏に属した。1569年(永禄12年)、掛川城攻めの際に戦死した。 | ||
| 菅沼 定則 | すがぬま さだのり | 野田菅沼氏の初代。1505年(永正2年)野田菅沼氏の当主となる。1506年(永正3年)今川氏親に従い、西三河攻めに出陣。これが初陣となる。1510年(永正7年)奥平定久の養女を娶る。1516年(永正13年)かねてより築城を進めていた野田城が完成し、翌年新しく完成した野田城へ移る。1544年(天文13年)嫡子定村へ家督を譲る。 | ||
| 菅沼 定広 | すがぬま さだひろ | 菅沼定政の外祖父。定政の育ての親。 | ||
| 菅沼 定政 | すがぬま さだまさ |
幼名は愛菊。1552年(天文21年)父土岐定明が戦死したため、外祖父の菅沼定広を頼って落ち延び、そこで養育された。そのため、菅沼姓を称することとなる。1564年(永禄7年)に徳川家康に招聘されてその家臣となり、1565年(永禄8年)の初陣を皮切りにして姉川の戦いをはじめ、家康の主要な合戦の多くに参戦して武功を挙げ、家康から武勇に優れた武将として賞賛された。1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いや1590年(天正18年)の小田原征伐でも軍功を挙げた。豊臣秀吉からもその武勇を賞賛されて、旧姓の土岐に戻すことも許された。1597年(慶長2年)3月3日に死去。享年47歳。 |
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| 菅沼 定盈 | すがぬま さだみつ | 徳川家家臣。菅沼定村の長男。当初、今川氏に属すが、1561年(永禄4年)松平元康に属す。その為、同年今川氏真に攻められ、野田城を失う。1562年(永禄5年)夜襲により野田城を奪還するも、野田城の損壊が激しかったため、応永年間に築かれた砦を大野田城と称し、ここを本拠とした。1568年(永禄11年)からの遠江国侵攻に従軍し、井伊谷城、形部城、浜松城等を落とす。1571年(元亀2年)一族以下の多くが武田氏に属する中、終始徳川氏と共に行動し、1573年(天正元年)武田信玄に野田城を攻められ、落城。武田氏に捕らえられるが、人質との交換で釈放される。1575年(天正3年)の長篠の合戦をはじめ、甲州征伐、小牧・長久手の戦い、小田原征伐に従軍し、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いでは江戸城留守居役を勤める。1604年(慶長9年)7月18日領国の伊勢国長島で死去。享年62歳。 | ||
| 菅沼 定村 | すがぬま さだむら | 菅沼定則の長男。1555年(弘治元年)織田氏に通じた奥平氏を討つために今川義元が出陣し、定村はそれに従軍する。しかし、この戦いで討死する。 | ||
| 菅沼 正貞 | すがぬま まささだ | 貞景の長男。はじめ徳川氏に属していたが、武田氏が南下して来ると、1571年(元亀2年)人質を出して武田氏に属した。三方原の戦いの際には、山県昌景の配下となって徳川家康と戦った。その後、1573年(天正元年)に徳川氏への内通を疑われ、信濃国小諸に幽閉されて牢死。 | ||
| 菅谷 長頼 | すがや ながより | 九右衛門。織田信長の臣。1569年(永禄12年)伊勢国北畠氏討伐に従軍。1578年(天正6年)播磨国神吉城攻めの検使。同年末には鉄砲隊を率いて伊丹城攻めに参加。1579年(天正7年)安土宗論に使者を勤め、1582年(天正10年)本能寺の変の折には二条御所で討死した。 | 織田家臣団 | |
| 杉原 家次 | すぎはら いえつぐ | 豊臣秀吉の家老。秀吉の正室高台院の叔父にあたる。明智光秀滅亡後、丹波国福知山城主となる。その後近江国を給され、京都所司代を兼任し、1584年(天正12年)9月9日に没した。 | ||
| 杉谷 善住坊 | すぎたに ぜんじゅうぼう | 甲賀五十三家の一つ・杉谷家の一族。「飛ぶ鳥も射落とす」と言われた鉄砲の名人。1570年(元亀元年)に鈴鹿山系千草山中の椋木峠にて織田信長を狙撃したことで有名。しかし軽傷を負わせただけで失敗、逃走したが3年後に磯野員昌の手に捕らえられ、土中に埋められ鋸引きの刑に処された。 | ||
| 諏訪 頼重 | すわ よりしげ | 信濃国諏訪郡の豪族。上原城に拠って諏訪郡を支配する。1542年(天文11年)義兄である甲斐国武田信玄に攻められて降伏し、6月囚われて甲府へ赴き、幽閉ののち誅殺される。これにより諏訪氏は滅亡。 | ||