| 武将名 | 武将名(ひらがな) | 概略 | 関連ページ | |
| 毛利 新介 | もうり しんすけ | 織田信長の臣。桶狭間の合戦において、今川義元を討ち取る。黒母衣衆の一員となる。 | 織田家臣団 | |
| 毛利 興元 | もうり おきもと | 毛利元就の兄。安芸国国人領主。出雲国尼子氏、周防国大内氏に対抗するために安芸国内の有力国人領主8家のリーダ各として苦闘した。 | ||
| 毛利 勝斉 | もうり かつなり | 毛利秀頼の家臣。信濃国高遠城にて城代を務める。 | ||
| 毛利 幸松丸 | もうり こうまつまる | 毛利興元の長男。父が早世したため、2歳で家督を継いだ。1523年(大永3年)尼子氏が安芸国を南下し、大内氏の本拠鏡山城の占領をはかった。このとき毛利氏は尼子方となり、幸松丸は元就に擁せられて出陣。鏡山城を陥落させて、帰陣後、9歳で夭折した。 | ||
| 毛利 隆元 | もうり たかもと | 毛利元就の長男。1537年(天文6年)12月毛利氏の人質として山口へ赴き、1540年(天文9年)まで滞在した。尼子討伐の途中1563年(永禄6年)9月1日安芸国佐々部で急死。享年41歳。 | ||
| 毛利 輝元 | もうり てるもと | 毛利隆元の長男。父隆元が1563年(永禄6年)に急死したため、祖父元就の後見のもと家督を継ぐ。織田家とは対立したが、本能寺の変後天下人となった豊臣秀吉には従属の形をとる。豊臣政権の中では5大老の一人になる。しかし関ヶ原の戦いでは本戦には参戦しなかったものの、西軍の総大将としてみなされ、大幅に減封された。1625年(寛永2年)4月27日死去。享年73歳。 | ||
| 毛利 秀就 | もうり ひでなり | 毛利輝元の長男。豊臣秀頼から一字をもらい、秀就と名乗る。1600年(慶長5年)父輝元から家督相続。大坂の陣では関東方として参陣。 | ||
| 毛利 秀元 | もうり ひでもと | 穂井田元清の子。従兄弟・輝元の養子となる。豊臣秀吉の朝鮮派兵の際は毛利軍を指揮した。関ヶ原合戦の際は主戦場に赴き「宰相殿の空弁当」の逸話を生む。 | ||
| 毛利 秀頼 | もうり ひでより | 織田信長、豊臣秀吉に仕える。信長の甲斐国侵攻の際、信濃国伊奈郡に領地を与えられる。本能寺の変後、秀吉に従い、各地を転戦。1593年(文禄2年)閏9月死去。 | 織田家臣団 豊臣家臣団 |
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| 毛利 弘元 | もうり ひろもと | 毛利元就の父。安芸国国人領主。東の細川氏、西の大内氏に挟まれ、両勢力の衝突が避けれなくなった1500年(明応9年)、弘元は家督を興元に譲り猿掛城に隠退した。1506年(永正3年)死去。 | ||
| 毛利 元秋 | もうり もとあき |
毛利元就の五男。はじめは周防の椙杜家の養子となり椙杜姓を名乗ったが、後に離縁している。出雲富田城で没し、遺領は同母弟の末次元康が嗣いだ。 |
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| 毛利 元康 | もうり もとやす | 毛利元就の8男。1585年(天正13年)同母の兄毛利元秋の死により、同家を相続し、出雲富田城主となる。関ヶ原の戦いの後、長門厚挟郡に移封されたが、1601年(慶長6年)正月13日、大坂で死去。享年42歳。 | ||
| 毛利 元就 | もうり もとなり | 安芸国戦国大名。毛利弘元の次男。1516年(永正13年)実兄興元の死により、甥の幸松丸の後見人となる。1523年(大永3年)幸松丸が9歳で死去したため、毛利氏の家督を継ぐ。出雲国の尼子氏、周防国の大内氏という強国に挟まれながらも、権謀術数で次々と強国を倒し、毛利家を中国の覇者まで押し上げる。1571年(元亀2年)6月14日安芸国郡山城で死去。享年75歳。 | ||
| 最上 義光 | もがみ よしあき | 奥州最上氏11代の当主。上杉景勝・伊達政宗らと抗争した。豊臣秀吉による小田原の陣に参陣し、本領を安堵されている。関ヶ原の合戦では東軍に属し上杉景勝と戦った。 | ||
| 森 長氏 | もり ながうじ | 織田信長の小姓。森可成の5男。蘭丸の実弟。1582年(天正10年)6月2日本能寺で防戦するが、兄蘭丸らと共に討死。享年16歳。 | 織田家臣団 | |
| 森 長隆 | もり ながたか | 織田信長の小姓。森可成の4男。蘭丸の実弟。1582年(天正10年)6月2日本能寺で防戦するが、兄蘭丸らと共に討死。享年17歳。 | 織田家臣団 | |
| 森 長可 | もり ながよし | 織田信長の臣。森可成の次男。1574年(天正2年)7月、伊勢長島一揆の制圧に参加。1582年(天正10年)2月、織田信忠に従い信濃国伊奈に進発、小笠原家を降し、さらに高遠城を攻撃。信長の没後、一時織田信孝に属すが、間もなく豊臣秀吉の臣となり、1584年(天正12年)4月小牧・長久手の戦いに参陣し、激闘の末、討死。 | 織田家臣団 | |
| 森 成利 | もり なりとし | 織田信長の臣。有名な蘭丸である。長定とも。森可成の3男で幼少の頃より、信長の小姓として仕える。本能寺の変で明智軍と戦い、討死している。享年18歳。弟坊丸、力丸も同所で討死。 | 織田家臣団 | |
| 森 忠政 | もり ただまさ | 織田信長の臣。森可成の6男。兄長可が小牧長久手の戦いで討死してから、遺領を継ぐ。豊臣秀吉死後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いの際には徳川秀忠に従軍。戦後は美作国津山に移る。1634年(寛永11年)に死去。享年65歳。 | ||
| 森 坊丸 | もり ぼうまる | =森長隆。 | 織田家臣団 | |
| 森 可成 | もり よしなり | 織田信長の臣。森蘭丸の父。信長に仕えて、1555年(弘治元年)信長の尾張国清洲城攻めに加わり、信長の叔父織田信友を自刃させる。その後も姉川の戦い等緒戦に従軍する。1565年(永禄8年)美濃国金山城主に任ぜられる。1570年(元亀元年)信長の近江進発に際して、姉川の戦いの3ヶ月後、宇佐山城を守っているが、信長が石山城を攻めている隙に浅井・朝倉連合軍に襲われ、9月19日敗死。享年48歳。 | 織田家臣団 | |
| 森 力丸 | もり りきまる | =森長氏。 | 織田家臣団 | |