| 武将名 | 武将名(ひらがな) | 概略 | 関連ページ | |
| 楊方亨 | ようほうこう | 中国、明の官僚。日本の第一次朝鮮出兵に対する日明講和のため、1595年(文禄4年)日本冊封使の副使に任命。朝鮮での小西行長の陣営にはいるが、正使李宗城の逃亡により正使に昇格。代わって沈惟敬が副使となる。1596年(慶長元年)6月に来日。9月に豊臣秀吉と対面するが、先の講和交渉における小西、沈らの偽装工作の露顕により日明講和は破綻。帰国後沈惟敬の欺瞞行為を訴える。 | ||
| 横田 旨俊 | よこた むねとし | 蘆名氏の旧臣。蘆名家没落後、越後に移って直江兼続の配下となった。関ヶ原の戦いの折、最上氏を攻めた際は、第二陣として篠井泰信、本村親盛らと上山城を攻めるが、最上軍との物見山の戦いで敗北した。 | ||
| ★ | 横田 康景 | よこた やすかげ | 足軽大将衆。甲斐国武田氏の臣。信玄、勝頼の2代に仕える。1575年(天正3年)長篠の合戦で討死。 | 武田家臣団 |
| 與次 | よじ | 吉田兼見の元小姓。磯谷信介に発見され、その後溝尾庄兵衛の小者として仕えることになる。 | 明智家臣団 | |
| 吉田 兼見 | よしだ かねみ | 京都吉田神社の神主。日記「兼見卿記」は当時の政治情勢や社会・文芸の諸方面にわたる貴重な資料となっている。1610年(慶長15年)8月没した。 | ||
| 淀殿 | よどどの | 浅井長政の長女。豊臣秀吉の側室。秀頼の母。父長政滅亡後、母お市と共に城を落ち延び、柴田勝家に再嫁したお市に従う。しかし、勝家は秀吉の手により滅亡する。その後秀吉の側室となり、秀吉の子鶴松、秀頼を生む。秀吉の死後、徳川家康により大坂夏の陣で大坂城の落城と運命を共にする。 | ||