| 武将名 | 武将名(ひらがな) | 概略 | 関連ページ | |
| 脇坂 安明 | わきさか やすあき | 脇坂安治の父。 | ||
| 脇坂 安治 | わきさか やすはる | 1569年(永禄12年)頃より羽柴秀吉に仕え、以後秀吉の下で各地を転戦する。なかでも1583年(天正11年)の賤ヶ岳の戦いでは賤ヶ岳の七本槍に称されるほどの武功をあげる。その後も秀吉の将として活躍をする。秀吉の死後1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いでは当初西軍に属するも戦いの半ばに東軍に呼応し、戦後所領を安堵されている。1609年(慶長14年)伊予大洲に転封。1615年(元和元年)致仕。1626年(寛永3年)8月6日死去。享年73歳。 | ||
| 和田 惟政 | わだ これまさ | 足利義輝・義昭の臣。織田信長にも重用され、1569年(永禄12年)三好三人衆の京都侵攻に対して本国寺で防戦。1571年(元亀2年)8月池田知正と摂津国郡山で戦って討死。 | ||
| ★ | 和田 業繁 | わだ なりしげ | 先方衆(西上野衆)。はじめ義父である長野業正の同心で上杉憲政に仕えるも、北条氏との抗争で北条氏康、上杉謙信と主君を変えている。1561年(永禄4年)、武田氏による西上野侵攻により武田氏に従属している。1575年(天正3年)の長篠の戦いでは長篠城を俯瞰できる君が臥床砦に布陣したが、酒井忠次の奇襲により戦死した。 | 武田家臣団 |