武将名 武将名(ひらがな) 概略 関連ページ
津川 義冬 つがわ よしふゆ  織田信雄の家老。伊勢国松ヶ島城主。
 尾張守護斯波氏の一族。1584年(天正12年)羽柴秀吉に通じた疑いにより、信雄に殺害される。
織田家臣団
築山 殿 つきやま どの  徳川家康の正室。今川義元の姪。1557年(弘治3年)人質として今川氏のもとにあった家康と結婚。桶狭間の戦い後、織田氏との提携を強める中、築山殿信康母子は武田氏への内通の嫌疑をかけられ、1579年(天正9年)8月29日信康についての弁明するため、家康の元に赴く途中に殺害された。享年38歳。
津田 信澄 つだ のぶずみ  織田信行の息子。七兵衛。
 織田信長の部将として各地を転戦。
1574年(天正2年)、明智光秀の女婿となった。1578年(天正6年)、大溝城主となる。
 本能寺の変のときは織田信孝らと四国征伐に出陣するため大坂城にいたが、6月5日明智光秀の縁者であったため城内で信孝に殺された。
織田家臣団
土田 弥平治 つちだ やへいじ  吉乃の先夫。
土屋 昌続 つちや まさつぐ  御譜代家老衆。甲斐国武田氏の臣。1572年(元亀3年)三方ヶ原の戦いで戦功をあげる。1575年(天正3年)長篠の戦いで戦死。 武田家臣団
筒井 定次 つつい さだつぐ  順慶の養嗣子。1584年(天正12年)人質として羽柴秀吉に仕え、大和国郡山城主となる。小牧・長久手の戦い、四国征伐に功があり、羽柴の姓を与えられた。その後九州、小田原の陣に出陣。関ヶ原の戦いの折は東軍に属したが、居城は大坂方に奪われた。その後家中の訴えより謹慎処分となる。理由はキリシタン信仰とも、素行がおさまらないと伝わるが不詳。1615年(元和元年)3月5日大坂冬の陣に際して大坂方に内通したとの理由で自殺させられた。享年54歳。
筒井 順慶 つつい じゅんけい  1550年(天文19年)父の死により家督を継ぐが、1560年(永禄3年)筒井城を追われ、1576年(天正4年)5月明智光秀に助けられて織田信長から大和国を与えられ1580年(天正8年)郡山に城を構え大和一国を支配する。山崎の戦いでは光秀に背き、羽柴秀吉に従い、秀吉にも領国を安堵された。1584年(天正12年)8月11日病没する。
筒井 順昭 つつい じゅんしょう  大和国の国衆。順昭の活躍により筒井氏全盛期への出発がなされたといわれる。1549年(天文18年)家督を子の順慶に譲り、翌1550年(天文19年)6月20日死去した。
鶴姫 つるひめ  榊原康政の娘。1605年(慶長10年)将軍秀忠の養女として池田輝政の子利隆に嫁し、嫡子光政など三男二女をもうける。1616年(元和2年)利隆の没後は落飾。
ツ音
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